2008/4/28  7:45

one for all  世の中
日本電産の社長の発言が問題になっている。
連合の会長がメーデーでわざわざ名指しで批判し、
ネットでも賛否両論が入り乱れて議論されているという。

発言の内容は新聞見出しによれば「休みたいならやめればいい」というものだった由。
ただ、記事本文を見てもこうした発言はないので今ひとつ事実認定できないのだが、
それでも「社員全員が休日返上で働く企業だから成長できるし給料も上がる」と、
月月火水木金金のハードワークを奨励するような発言をしたのはたしからしい。

この社長さんが言っていることはたしかに「正しい」のだろう。
社員全員が己の心身を擲って仕事に励めばたしかに企業の業績は伸びるのだろう。
しかし、そうして躍進した企業の中において社員は本当に幸せなのか?
休日返上で心も健康もすり減らし、常に仕事に追われているような状況が健常なのか?
会社の業績が伸びても社員が疲弊してしまってはまさに一将功成って万骨枯るの世界。
本末転倒という思いがする。
人は幸福になるために組織(企業)を作った。
個人では限定的にしか手に入れることができない幸福も、
複数の個人の力を束ねればより大きな形で手に入れることができる。
個人ではウサギしか狩猟することができなくても、
組織になれば巨大なマンモスを狩ることができるように。
組織というのは幸福を得るための手段であったはずなのだ。
ところが、現代では手段と目的が倒錯して
個人の幸福よりも組織の維持の方が重視されてしまっている。
組織と個人の関係についてよく「all for one, one for all」という言葉が使われる。
「みんな(組織)は一人のために、一人はみんな(組織)のために」。
いかにも西洋起源のgive & take の発想。
しかし現代では「one for all」のみ要求されて「all for one」はなおざりだ。
そんな現状と本来からは倒錯した意識の元に日本電産社長の発言はあったのでないか。

改めて「ワーク・ライフ・バランス」という概念を思う。
仕事とプライベートとのバランスの取れた生活。
「恒産無ければ恒心無し」という古代中国に生まれた言葉がある。
この言葉は、きちんとした仕事が無ければ落ち着いた心持ちも得られないという意。
けれど恒心が無くても恒産は無いのではないか。
心に潤いがなくて出涸らしのようになった状態で本当に良い仕事が出来るのか?

そんなことをふと思う。
こう思うのは、職場でも日本電産社長に似た発言を聞くことがあるからだろうなあ…。

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