2008/7/21 17:13
長い長い一日 分類なし
一昨日は長い長い一日。
前述したように前夜ほとんど寝られず。
そんな状態で教採の面接試験を受けに家を出発。
十年ほど前のタイガースの通称みたいな名前の駅近辺の高校へ。
コンビニで朝食を買うのに手間取り、集合時間の10分前にようやく会場に到着。
さあ、面接は午前の早い部。
さっさと済めば時間はたっぷり空くぞ、と期待に胸膨らませていたのだけれど、
受験番号の巡り合わせで一番最後のグループに組み込まれてしまった。
あとほんのちょっとの違いで別の控え室の最初のグループだったんだけどなあ…。
そんなわけで出番の時間まで控え室でひたすら一時間あまり待機。
持ってきた荻原浩『僕たちの戦争』を読む。
すんなり物語の世界に入り込むことができて、妙に落ち着いてなんだか不思議な感じ。
それだけ面接慣れしたということか、はたまたやる気が薄いのか…。
10時過ぎに控え室から追い立てられるように面接会場の部屋の前へ。
さあいよいよ面接開始かなと身構えたのだけれど、ここからが長かった。
前のグループの面接がつかえているのか延々と会場前で待機。
手持ちぶさたなのだが、まさか本を読むわけにもいかない。
仕方なしに廊下に貼りだしてあるビラを眺めてみると、
労働問題や平和運動がかったものがいくつも見受けられた。
なんだか一昔前の大学のキャンパスにでも迷い込んだような懐かしい気分。
悪くないぞ、ってな風に思いながら呼び出しを待つ。
待つこと数十分後にようやく呼び出されて面接室へ。
他の都道府県はいざ知らず、
私がこれまで受けたところの一次試験の面接は集団面接。今回も同様だった。
面接が始まるや否や気分が悪くなる。
何に対して?
面接者による、答えの幅があまりに狭い質問の数々に対して。
あまりにも型通りで「熱血」を印象づけんとする他の受験生の発言の数々に。
自己PRは判で押したように
これまでのスポーツ経験を強調し、教育への熱意を歌い上げるものばかり。
体育会系ぶっている調子で統一されている、と言えばいいだろうか。
彼らが採用されてその言葉通りのセンセイになったとしたら、
そして教育の場がそんなセンセイばっかりになったとしたら、
学校はさぞかし教育への「熱意」と活気に溢れる「素晴らしい」場になるに違いない。
諸問題に対して正面から向き合って正攻法の突破を図る「熱血」センセイがいて、
彼らの「熱意」溢れる指導のもと問題生徒は矯正される「健康」的で明るい場。
「このバカちんが」先生やらヤンクミ先生が「活躍」した後の学校みたいな。
たぶん、世間が求めている学校像というのもそんなものなのだろうなあ。
だからこそ他の受験者の回答もそうした線に沿ったものになったのだろう。
いずれも模範解答の域を出ない代物のように感じられて仕方なかったけれども。
例えば、いじめにどう対処するか、という質問には、
「その件についてクラス全員で話し合い、いじめは悪いことだと教えます」ってな具合。
ここは金八先生かヤンクミ先生の養成所か?
聞きながら、「それは所詮は机上の空論に過ぎない」と何度も心の中で突っ込んでいた。
面接の時間は30分弱だったのだけれども、
その時間はずっと、ほかの受験者たちのあまりに真っ当で、作り物めいていて、
面接者の歓心を買おうとする下心見え見えな回答の毒気に当てられっぱなし。
試験が終わって駅まで戻ってきたときにはかなりしんどい気分だった。
そして思い出した。昨年も一昨年も面接試験後、同じように気分が悪くなったことを。
それだけ自分に進歩がないってことなんだろうけれど…。
この日は午後から友人と映画を見る約束になっていた。
待ち合わせは九条のシネヌーヴォの前に15:30。
面接試験を受ける前は、
待ち合わせまでの時間は梅田で映画でも見て潰すかとも思っていたのだけれど、
試験会場で毒気に当てられてはさすがに梅田に行く気にもなれず。
ふと、ここから九条まで歩いてみたらどうだろうかという気持ちが湧いてきたので、
熟慮することなくその思いつきを実行に移すことに。
試験会場から駅前に戻るだけでも汗ばむほどの暑さだけれども、
気持ちがちょっと病んでいたので酔狂なことを何かしでかしておきたかったのだ。
三代前のタイガースの呼称を思わせる土地から九条までの所要時間は徒歩で30分ほど。
出発してからしばらくは商店街のアーケードが続いたこともあって、
実際に歩いてみればそれほどに暑さを感じることはない。
道々で祭りの準備らしい法被姿の人を見て、もうそんな季節なんだと季節を感じる。
大阪ドームが見えてきた時にはいささかの感慨。
ここにはバファローズが優勝した'01年、よく(と言っても数回だけど)通ったものだ。
デタラメな野球でバファローズが勝った日本シリーズ第2戦に興奮したことを覚えている。
スタジアムの近所に来てあの時の興奮が蘇ってくるような気がふとした。
とはいえ、あれからもう7年。
大阪近鉄という球団はもはや消滅してしまったし、
私も母校でもあった当時の職場自体との縁は完全に切れてしまっている。
何やら人麻呂の「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」の心持ち。
付近に千鳥饅頭の店はあっても千鳥は飛んでいないけれども。
九条商店街に到着したのは12時半過ぎ。
この商店街、大阪近鉄が健在の時にはホームスタジアムの近所のよしみか、
「バッファロード」なるものを設置してバッファローズに肩入れしていたけれど、
チームの運営母体がオリックスに変わって果たしてどうかな?
そんな意地悪な思いで訪れた九条商店街だったけれど、
名前は変わっていたもののバッファロード(?)は健在だった。

その後は待ち合わせ場所のシネヌーヴォを探しながら商店街をうろうろ。
安治川に面した(?)商店街の突き当たりまで行って引き返したり。
私は商店街を歩くのがかなり好きで、よく歩く。
別段何か買うわけではないし、ウィンドーショッピングをするわけでもないのだけれど、
商店街ののんびりとした雰囲気に触れるとなんだか気持ちが和んでくるのだ。
この日も九条商店街を歩いて、午前中の嫌な気分が癒されるような気がした。
とまあ商店街歩きは大いに満喫したのだけれど、肝心のシネヌーヴォが見つからない。
昔、勤務先で親しくなった映画好きの先輩の方に連れて来てもらったことはあったし、
ヒトラーの日常を描いた『モレク神』を見に来たこともあるのだけれど、
これももう10年近く前の話だけに映画館の位置についての記憶もあいまい。
1時間くらい歩いてようやく探し出したのだけれど、記憶とは随分と違っていた。
やっぱり年月経っているってことかな。
15時半過ぎに映画館前で落ち合って映画へ。
5月に「靖国」を一緒に見た友人と、友人の知人の方と三人での映画鑑賞。
今回はチベットについてのドキュメンタリー映画。
チベットからインドにあるダライラマの亡命政府に逃れてきた子供たちについてのもの。
チベット問題を正面から扱った骨太のドキュメンタリーだった。
これは街中の映画館ではなかなか掛からないだろうなあ…。
映画が終わると17時を回っていたので道頓堀の割烹店に移動して夕食。
ここは友人の知人の方の行きつけの店のようで、手早く予約を入れておられた。
この店のご主人は友人の高校の遠い先輩にあたるらしい。年齢は50代後半くらいか。
私もこの高校では教えたことがあるが、
世知辛い現代においても品の良さとおおらかさが残る雰囲気の良い学校だった
(もちろん、職場の人間関係とかはそれとはまた別物なのだけれど…)。
だからこそ私の母校ともども受験競争では遅れを取っているのだろうけれど。
現代ですらそうなのだから、ご主人が学生の頃はさらにのんびりしていたことだろう。
それはかつての私の母校も恐らく同様のことだとは思うだけれども。
ご主人にも、友人の知人の方にも、私には逆立ちしても出せそうにない、
そうした品の良さやおおらかさがそこはかとなく漂っている。
おおらかな環境に身を置いたからそうした品性が身についたのか、
そうした品性を持った人が集まったからおおらかな環境になったのか。
どちらが先かはわからないけれども。
スッポン料理に舌鼓を打ちながら、
昔の高校の話やら大阪の料理界の裏話やらいろいろうかがう。
いずれも門外漢の私にとっては興味深い話ばかり。
そうそう、大阪では避けては通れない同和と在日の方についての生々しい話もうかがう。
生々しいというか、肌身の、と形容した方が正確か。
私たちの育った時代というのは、
同和にしても在日の問題にしても、差別が表面には出てこなくなった時代。
それは差別がなくなったからというわけではなく、
臭い物には蓋式に表に出さなくなったというだけの話に過ぎないのだけれど。
そうやって差別の現実から隔離されているがゆえに、
私たちはいざそうした問題が突きつけられた時にどう振る舞っていいかわかっていない。
下手に腰が退けてよそよそしくなったり、あるいは逆に過剰に反応したり…etc。
実感よりも理屈が先に立ってしまうのだ。
ご主人たちの時代は差別が日常茶飯にあった時代。
それだけに問題への付き合い方もシンプルだし、相手との関係もフランクだ。
国籍とか関係無しに、気の合う者とは仲良くするし、合わない者とは仲良くしない。
小さいときから問題と向き合わざるを得なかったがゆえのリアリズムなのだろう。
問題を表面に出さなくして無菌(?)状態にしているがゆえに
私たちの世代より下にはこのリアリズムが備わっていない。
だからこそ、
北がミサイル発射したら朝鮮学校生のチマチョゴリに斬りつける輩が出てくるのだろう。
昔、藤原新也が『東京漂流』の中で、死から隔離されて生活しているが故に、
現代人は死との関わり方を忘れてしまったと書いていたけれども、
私たちが忘れてしまったのは死との関わり方だけではないようにも感じた。
割烹料理店を21時過ぎに出て次に向かったのは心斎橋のショットバー。
ここも友人の知人の方の行きつけのお店。
おつまみがともかくおいしく、またマスターの話もおもしろくて、時間を忘れる。
気がつけば、私も友人も終電がなくなってしまっていた。
ネットカフェにでも泊まって翌朝の始発で帰ろうかとも思ったのだが、
友人の知人の方が車で送ってくださるということなので好意に甘えさせていただくことに。
最初に友人の家の近辺に行き、次に私の家の近所へ。
家に帰り着いて時計を見れば28時(午前4時)過ぎ。
前夜寝ていないだけに本当に長い長い一日。
寝不足でつらいところもあったけれども、午後からは本当に楽しい時間であった。
前述したように前夜ほとんど寝られず。
そんな状態で教採の面接試験を受けに家を出発。
十年ほど前のタイガースの通称みたいな名前の駅近辺の高校へ。
コンビニで朝食を買うのに手間取り、集合時間の10分前にようやく会場に到着。
さあ、面接は午前の早い部。
さっさと済めば時間はたっぷり空くぞ、と期待に胸膨らませていたのだけれど、
受験番号の巡り合わせで一番最後のグループに組み込まれてしまった。
あとほんのちょっとの違いで別の控え室の最初のグループだったんだけどなあ…。
そんなわけで出番の時間まで控え室でひたすら一時間あまり待機。
持ってきた荻原浩『僕たちの戦争』を読む。
すんなり物語の世界に入り込むことができて、妙に落ち着いてなんだか不思議な感じ。
それだけ面接慣れしたということか、はたまたやる気が薄いのか…。
10時過ぎに控え室から追い立てられるように面接会場の部屋の前へ。
さあいよいよ面接開始かなと身構えたのだけれど、ここからが長かった。
前のグループの面接がつかえているのか延々と会場前で待機。
手持ちぶさたなのだが、まさか本を読むわけにもいかない。
仕方なしに廊下に貼りだしてあるビラを眺めてみると、
労働問題や平和運動がかったものがいくつも見受けられた。
なんだか一昔前の大学のキャンパスにでも迷い込んだような懐かしい気分。
悪くないぞ、ってな風に思いながら呼び出しを待つ。
待つこと数十分後にようやく呼び出されて面接室へ。
他の都道府県はいざ知らず、
私がこれまで受けたところの一次試験の面接は集団面接。今回も同様だった。
面接が始まるや否や気分が悪くなる。
何に対して?
面接者による、答えの幅があまりに狭い質問の数々に対して。
あまりにも型通りで「熱血」を印象づけんとする他の受験生の発言の数々に。
自己PRは判で押したように
これまでのスポーツ経験を強調し、教育への熱意を歌い上げるものばかり。
体育会系ぶっている調子で統一されている、と言えばいいだろうか。
彼らが採用されてその言葉通りのセンセイになったとしたら、
そして教育の場がそんなセンセイばっかりになったとしたら、
学校はさぞかし教育への「熱意」と活気に溢れる「素晴らしい」場になるに違いない。
諸問題に対して正面から向き合って正攻法の突破を図る「熱血」センセイがいて、
彼らの「熱意」溢れる指導のもと問題生徒は矯正される「健康」的で明るい場。
「このバカちんが」先生やらヤンクミ先生が「活躍」した後の学校みたいな。
たぶん、世間が求めている学校像というのもそんなものなのだろうなあ。
だからこそ他の受験者の回答もそうした線に沿ったものになったのだろう。
いずれも模範解答の域を出ない代物のように感じられて仕方なかったけれども。
例えば、いじめにどう対処するか、という質問には、
「その件についてクラス全員で話し合い、いじめは悪いことだと教えます」ってな具合。
ここは金八先生かヤンクミ先生の養成所か?
聞きながら、「それは所詮は机上の空論に過ぎない」と何度も心の中で突っ込んでいた。
面接の時間は30分弱だったのだけれども、
その時間はずっと、ほかの受験者たちのあまりに真っ当で、作り物めいていて、
面接者の歓心を買おうとする下心見え見えな回答の毒気に当てられっぱなし。
試験が終わって駅まで戻ってきたときにはかなりしんどい気分だった。
そして思い出した。昨年も一昨年も面接試験後、同じように気分が悪くなったことを。
それだけ自分に進歩がないってことなんだろうけれど…。
この日は午後から友人と映画を見る約束になっていた。
待ち合わせは九条のシネヌーヴォの前に15:30。
面接試験を受ける前は、
待ち合わせまでの時間は梅田で映画でも見て潰すかとも思っていたのだけれど、
試験会場で毒気に当てられてはさすがに梅田に行く気にもなれず。
ふと、ここから九条まで歩いてみたらどうだろうかという気持ちが湧いてきたので、
熟慮することなくその思いつきを実行に移すことに。
試験会場から駅前に戻るだけでも汗ばむほどの暑さだけれども、
気持ちがちょっと病んでいたので酔狂なことを何かしでかしておきたかったのだ。
三代前のタイガースの呼称を思わせる土地から九条までの所要時間は徒歩で30分ほど。
出発してからしばらくは商店街のアーケードが続いたこともあって、
実際に歩いてみればそれほどに暑さを感じることはない。
道々で祭りの準備らしい法被姿の人を見て、もうそんな季節なんだと季節を感じる。
大阪ドームが見えてきた時にはいささかの感慨。
ここにはバファローズが優勝した'01年、よく(と言っても数回だけど)通ったものだ。
デタラメな野球でバファローズが勝った日本シリーズ第2戦に興奮したことを覚えている。
スタジアムの近所に来てあの時の興奮が蘇ってくるような気がふとした。
とはいえ、あれからもう7年。
大阪近鉄という球団はもはや消滅してしまったし、
私も母校でもあった当時の職場自体との縁は完全に切れてしまっている。
何やら人麻呂の「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば心もしのにいにしへ思ほゆ」の心持ち。
付近に千鳥饅頭の店はあっても千鳥は飛んでいないけれども。
九条商店街に到着したのは12時半過ぎ。
この商店街、大阪近鉄が健在の時にはホームスタジアムの近所のよしみか、
「バッファロード」なるものを設置してバッファローズに肩入れしていたけれど、
チームの運営母体がオリックスに変わって果たしてどうかな?
そんな意地悪な思いで訪れた九条商店街だったけれど、
名前は変わっていたもののバッファロード(?)は健在だった。
その後は待ち合わせ場所のシネヌーヴォを探しながら商店街をうろうろ。
安治川に面した(?)商店街の突き当たりまで行って引き返したり。
私は商店街を歩くのがかなり好きで、よく歩く。
別段何か買うわけではないし、ウィンドーショッピングをするわけでもないのだけれど、
商店街ののんびりとした雰囲気に触れるとなんだか気持ちが和んでくるのだ。
この日も九条商店街を歩いて、午前中の嫌な気分が癒されるような気がした。
とまあ商店街歩きは大いに満喫したのだけれど、肝心のシネヌーヴォが見つからない。
昔、勤務先で親しくなった映画好きの先輩の方に連れて来てもらったことはあったし、
ヒトラーの日常を描いた『モレク神』を見に来たこともあるのだけれど、
これももう10年近く前の話だけに映画館の位置についての記憶もあいまい。
1時間くらい歩いてようやく探し出したのだけれど、記憶とは随分と違っていた。
やっぱり年月経っているってことかな。
15時半過ぎに映画館前で落ち合って映画へ。
5月に「靖国」を一緒に見た友人と、友人の知人の方と三人での映画鑑賞。
今回はチベットについてのドキュメンタリー映画。
チベットからインドにあるダライラマの亡命政府に逃れてきた子供たちについてのもの。
チベット問題を正面から扱った骨太のドキュメンタリーだった。
これは街中の映画館ではなかなか掛からないだろうなあ…。
映画が終わると17時を回っていたので道頓堀の割烹店に移動して夕食。
ここは友人の知人の方の行きつけの店のようで、手早く予約を入れておられた。
この店のご主人は友人の高校の遠い先輩にあたるらしい。年齢は50代後半くらいか。
私もこの高校では教えたことがあるが、
世知辛い現代においても品の良さとおおらかさが残る雰囲気の良い学校だった
(もちろん、職場の人間関係とかはそれとはまた別物なのだけれど…)。
だからこそ私の母校ともども受験競争では遅れを取っているのだろうけれど。
現代ですらそうなのだから、ご主人が学生の頃はさらにのんびりしていたことだろう。
それはかつての私の母校も恐らく同様のことだとは思うだけれども。
ご主人にも、友人の知人の方にも、私には逆立ちしても出せそうにない、
そうした品の良さやおおらかさがそこはかとなく漂っている。
おおらかな環境に身を置いたからそうした品性が身についたのか、
そうした品性を持った人が集まったからおおらかな環境になったのか。
どちらが先かはわからないけれども。
スッポン料理に舌鼓を打ちながら、
昔の高校の話やら大阪の料理界の裏話やらいろいろうかがう。
いずれも門外漢の私にとっては興味深い話ばかり。
そうそう、大阪では避けては通れない同和と在日の方についての生々しい話もうかがう。
生々しいというか、肌身の、と形容した方が正確か。
私たちの育った時代というのは、
同和にしても在日の問題にしても、差別が表面には出てこなくなった時代。
それは差別がなくなったからというわけではなく、
臭い物には蓋式に表に出さなくなったというだけの話に過ぎないのだけれど。
そうやって差別の現実から隔離されているがゆえに、
私たちはいざそうした問題が突きつけられた時にどう振る舞っていいかわかっていない。
下手に腰が退けてよそよそしくなったり、あるいは逆に過剰に反応したり…etc。
実感よりも理屈が先に立ってしまうのだ。
ご主人たちの時代は差別が日常茶飯にあった時代。
それだけに問題への付き合い方もシンプルだし、相手との関係もフランクだ。
国籍とか関係無しに、気の合う者とは仲良くするし、合わない者とは仲良くしない。
小さいときから問題と向き合わざるを得なかったがゆえのリアリズムなのだろう。
問題を表面に出さなくして無菌(?)状態にしているがゆえに
私たちの世代より下にはこのリアリズムが備わっていない。
だからこそ、
北がミサイル発射したら朝鮮学校生のチマチョゴリに斬りつける輩が出てくるのだろう。
昔、藤原新也が『東京漂流』の中で、死から隔離されて生活しているが故に、
現代人は死との関わり方を忘れてしまったと書いていたけれども、
私たちが忘れてしまったのは死との関わり方だけではないようにも感じた。
割烹料理店を21時過ぎに出て次に向かったのは心斎橋のショットバー。
ここも友人の知人の方の行きつけのお店。
おつまみがともかくおいしく、またマスターの話もおもしろくて、時間を忘れる。
気がつけば、私も友人も終電がなくなってしまっていた。
ネットカフェにでも泊まって翌朝の始発で帰ろうかとも思ったのだが、
友人の知人の方が車で送ってくださるということなので好意に甘えさせていただくことに。
最初に友人の家の近辺に行き、次に私の家の近所へ。
家に帰り着いて時計を見れば28時(午前4時)過ぎ。
前夜寝ていないだけに本当に長い長い一日。
寝不足でつらいところもあったけれども、午後からは本当に楽しい時間であった。
