2008/4/27 8:32
新刊紹介 哲学
気持ちを入れ替えて、いつもの如く新刊紹介。
まずは、私もドゥルーズについて寄稿した『哲学の歴史 第12巻 実存・構造・他者 【20世紀III】』(責任編集 鷲田清一、中央公論新社)。ソーカル問題などもあったせいか、単なる言葉遊びや鬼面人を驚かすような物言いに注目が集まることが多い現代フランス哲学だが、私個人は、少しだけマッチ・ポンプの趣を有するかも知れないものの、まさしく「ドイツ観念論に匹敵するような哲学運動」であったと思う。但し、その真価は、あくまでも醒めた素面の眼差しでもって、彼らの作り上げた諸概念の意義を測定することによって初めて明らかになるものである。その点、――拙稿がそれに成功しているかどうかは別にして――主に40代の執筆者からなる本書を通読して、例外的に意味あるものになっているように思った。オーヴァードーズには、「慎重さのテクニック」をもって対処する必要がある、というドゥルーズ&ガタリの言葉が改めて想起されねばならない。(この場を借りて、削除してしまったエントリーに的確なコメントをいち早く寄せて下さったcharisさんに御礼とお詫びを申し上げたい。)
さて、残りはいつもの如く、ドゥルーズとスピノザ関連。
廣瀬純さんも寄稿している、Gilles Deleuze et les images, sous la direction de François Dosse et Jean-Michel Frondon, Paris, Cahiers du cinéma/Institut National de l'audiovisuel, 2008 は、主にドゥルーズの映画論をめぐる貴重な論文集。今や映画監督になった Pascal Bonitzer と André Téchiné との対談の他、Dominique Païni, Alain Bergala, Jean-Louis Leutrat, Christian Buci-Glucksmann, Raymond Bellourを初めとして、フランスの主立った映画評論家・批評家総出演の趣き。ドゥルーズと映画をめぐる私的な関わりに関する論考も含みつつ、ドゥルーズの映画論を引き延ばす作業が数多く示されていて刺激的。
この書の刊行を契機に « Deleuze et le cinéma » というエッセイが、Les inrockuptibles 誌(Du 15 au 21 avril 2008, N° 646)に掲載されているが、ドゥルーズの娘にして映画監督であるエミリー・ドゥルーズへのインタヴューが併載されている。それによると、彼女には、父ドゥルーズをめぐる映画を撮る計画があり、三人の役者にジルを演じさせることになっていて、何とその一人はロバート・ミッチャム。ロバート・ミッチャムは、この企画に応じていて、その役はドゥルーズの家族と愛情に関わる側面であった、とのこと。『狩人の夜』の役者とドゥルーズとが、このようにして交差する可能性があったとは、ちょっと楽しいではないか。
次は、ドゥルーズの<超越論的経験論>をめぐる研究書。この主題に関しては、私たちは江川隆男の怪物的な書物を有しているが、それに比べればずっとおとなしいものの、丁寧な仕事である。Levi R. Bryant, Difference and Giveness. Deleuze's Transcendental Empiricism and the Ontology of Immanence, Evanston, Northwestern University Press, 2008.
こちらは通読していないが、スピノザ関係では、Interpreting Spinoza. Critical Essays, edited by Charlie Huememann, Cambridge, Cambridge University Press, 2008 に幾つか興味深い論考がある。例えば、Michael V. Griffin, « Necessitarianisim in Spinoza and Leibniz » などはしっかりとした研究。
これから、老母の様子伺いがてら帰郷し、ARABAKI ROCK FES. 08 に行くので、今日はここまで。勿論、主な目的は FRICTION である。野外ロックフェスだから、どうせ時間は短いだろうが、これまでのツアーでは、新曲も披露されたということであるから、期待は高まる。(ついでに、ゆらゆら帝国を野外で聞くことが出来るのも楽しみ。)
[Les inrockuptibles 誌関係の段落を追加。5月1日記]
まずは、私もドゥルーズについて寄稿した『哲学の歴史 第12巻 実存・構造・他者 【20世紀III】』(責任編集 鷲田清一、中央公論新社)。ソーカル問題などもあったせいか、単なる言葉遊びや鬼面人を驚かすような物言いに注目が集まることが多い現代フランス哲学だが、私個人は、少しだけマッチ・ポンプの趣を有するかも知れないものの、まさしく「ドイツ観念論に匹敵するような哲学運動」であったと思う。但し、その真価は、あくまでも醒めた素面の眼差しでもって、彼らの作り上げた諸概念の意義を測定することによって初めて明らかになるものである。その点、――拙稿がそれに成功しているかどうかは別にして――主に40代の執筆者からなる本書を通読して、例外的に意味あるものになっているように思った。オーヴァードーズには、「慎重さのテクニック」をもって対処する必要がある、というドゥルーズ&ガタリの言葉が改めて想起されねばならない。(この場を借りて、削除してしまったエントリーに的確なコメントをいち早く寄せて下さったcharisさんに御礼とお詫びを申し上げたい。)
さて、残りはいつもの如く、ドゥルーズとスピノザ関連。
廣瀬純さんも寄稿している、Gilles Deleuze et les images, sous la direction de François Dosse et Jean-Michel Frondon, Paris, Cahiers du cinéma/Institut National de l'audiovisuel, 2008 は、主にドゥルーズの映画論をめぐる貴重な論文集。今や映画監督になった Pascal Bonitzer と André Téchiné との対談の他、Dominique Païni, Alain Bergala, Jean-Louis Leutrat, Christian Buci-Glucksmann, Raymond Bellourを初めとして、フランスの主立った映画評論家・批評家総出演の趣き。ドゥルーズと映画をめぐる私的な関わりに関する論考も含みつつ、ドゥルーズの映画論を引き延ばす作業が数多く示されていて刺激的。
この書の刊行を契機に « Deleuze et le cinéma » というエッセイが、Les inrockuptibles 誌(Du 15 au 21 avril 2008, N° 646)に掲載されているが、ドゥルーズの娘にして映画監督であるエミリー・ドゥルーズへのインタヴューが併載されている。それによると、彼女には、父ドゥルーズをめぐる映画を撮る計画があり、三人の役者にジルを演じさせることになっていて、何とその一人はロバート・ミッチャム。ロバート・ミッチャムは、この企画に応じていて、その役はドゥルーズの家族と愛情に関わる側面であった、とのこと。『狩人の夜』の役者とドゥルーズとが、このようにして交差する可能性があったとは、ちょっと楽しいではないか。
次は、ドゥルーズの<超越論的経験論>をめぐる研究書。この主題に関しては、私たちは江川隆男の怪物的な書物を有しているが、それに比べればずっとおとなしいものの、丁寧な仕事である。Levi R. Bryant, Difference and Giveness. Deleuze's Transcendental Empiricism and the Ontology of Immanence, Evanston, Northwestern University Press, 2008.
こちらは通読していないが、スピノザ関係では、Interpreting Spinoza. Critical Essays, edited by Charlie Huememann, Cambridge, Cambridge University Press, 2008 に幾つか興味深い論考がある。例えば、Michael V. Griffin, « Necessitarianisim in Spinoza and Leibniz » などはしっかりとした研究。
これから、老母の様子伺いがてら帰郷し、ARABAKI ROCK FES. 08 に行くので、今日はここまで。勿論、主な目的は FRICTION である。野外ロックフェスだから、どうせ時間は短いだろうが、これまでのツアーでは、新曲も披露されたということであるから、期待は高まる。(ついでに、ゆらゆら帝国を野外で聞くことが出来るのも楽しみ。)
[Les inrockuptibles 誌関係の段落を追加。5月1日記]
