2008/5/10 15:31
ベルクソンのドゥルーズ宛未公刊書簡三通 哲学
「貴兄がお送り下さった著作に対して、それを読む時間が出来てから御礼を申し上げようと思っておりました。名誉なことに貴兄が私に割いて下さった研究は、とても密度の濃いものですし、仕事で手一杯で、それをじっくりと読んで検討するためには先週まで待たねばなりませんでした。今でも表面的な仕方でしか出来ていませんが。読み返すつもりです。ですが、まずは、貴兄が私の哲学に対して描いて下さった<忠実な>肖像画がどんなに私の関心を引いたかということを、お伝えしたいと強く望むものです。」
ベルクソンがドゥルーズに宛てて送った未公刊書簡の冒頭である。年老いたベルクソンが、Le Begsonisme を送られたことに対してドゥルーズにお礼を述べている。この書簡を含むベルクソンのドゥルーズ宛未公刊書簡三通がこのたび公刊された。一通目の書簡は、方法としての直観をめぐって、ベルクソンがドゥルーズの解釈を称え、最後には、自らに固有の哲学を「貴兄の固有の名前で、洗練させて展開すること」へ誘い、その哲学は「差異、もっと言えば純粋差異の哲学になるでしょう」と予言した上で、会いに来ないかと誘い、追伸では、ベルクソン著作抜粋集 Mémoire et vie へのお礼を述べて閉じられる。ベルクソン研究にとってもドゥルーズ研究にとってもこれほどまでに貴重な資料がこれまで刊行されなかったのは不思議なことである。
というのは、勿論半ば冗談で――ベルクソンが逝去したのは1941年――、今をときめく Elie During によって「想像された」三通の書簡が公刊された(Critique, Mai 2008, 732)。二通目は、1967年12月に博士論文『差異と反復』の最初のヴァージョンをもとに交わされた会話を受けての、ベルクソンによる『差異と反復』に対する感想を述べたもの。三つ目は、『アンチ・オイディプス』(?、もしかしたら『千のプラトー』?)に関する感想を述べている。こんな書簡があったら、研究史も様々な意味でひっくり返るであろうと思わせる、刺激に満ちた楽しい企画である。
『差異と反復』について論じる二通目の書簡においては、問題としての理念と微分に関する議論にとりわけ関心をもったこと、「思考のイメージ」をめぐる第三章が成功していると思われる、といったことが述べられる。三つ目の書簡においては、『アンチ・オイディプス』(もしくは『千のプラトー』)のパッチワークのような叙述の仕方とウイリアム・ジェイムズの「地図製作」とを関係づけた上で、「構築主義」を示唆し、また書簡での議論をもとに「リゾーム」概念を肯定的に評価し――どうも、著作としての『リゾーム』の刊行を勧めたのはベルクソンらしいのだ――、自らの場合と同様に、著作を読みもしない者どもによって誤解されることの危険性を老ベルクソンが示唆する。そして、最後には、哲学の方法をめぐる著作の執筆を勧め、また、映画論執筆の企画を喜んでいる。
というわけで、1966年から1970年代(もしくは80年初頭)という時期にわたるベルクソンとドゥルーズ交友関係が捏造され、『リゾーム』も『哲学とは何か』もベルクソンの強い勧めのもと執筆されたことになった。単なる遊びといえばそれまでだし、ベルクソンの文体のパステイシュが成功しているかどうかは私には評価できない。また、『差異と反復』第四章におけるベルクソンの潜在性概念に対する批判にベルクソン=During がどのように応接するのか、ということも知りたいとは思う。だが、この遊びを通して、ベルクソン/ドゥルーズ関係の広がりが興味深い仕方で示されたのも事実である。(とてもよく考えられた遊びで、冒頭の「忠実な」という措辞は、抹消されているとのことらしい。)
なお、この「未公刊」書簡は、「戦場の[斜交いの?]ベルクソン」という小特集の一つで、他には、 シャルル・モーラスに関する書物と François Azouvi によるベルクソン受容に関する書物への書評(Antoine Compagon)、先日来日した Pascal Engel によるジュリアン・バンダ/ベルクソンに関する論考、そして、昨年京都でベルクソンの哲学史関係講義録に関して情報量の多い発表を行った Camille Riquier による、 « Bergson (d')après Deleuze »という題名の最近のベルクソン研究とその意義を俯瞰するような見事な書評が掲載されている。
ベルクソンがドゥルーズに宛てて送った未公刊書簡の冒頭である。年老いたベルクソンが、Le Begsonisme を送られたことに対してドゥルーズにお礼を述べている。この書簡を含むベルクソンのドゥルーズ宛未公刊書簡三通がこのたび公刊された。一通目の書簡は、方法としての直観をめぐって、ベルクソンがドゥルーズの解釈を称え、最後には、自らに固有の哲学を「貴兄の固有の名前で、洗練させて展開すること」へ誘い、その哲学は「差異、もっと言えば純粋差異の哲学になるでしょう」と予言した上で、会いに来ないかと誘い、追伸では、ベルクソン著作抜粋集 Mémoire et vie へのお礼を述べて閉じられる。ベルクソン研究にとってもドゥルーズ研究にとってもこれほどまでに貴重な資料がこれまで刊行されなかったのは不思議なことである。
というのは、勿論半ば冗談で――ベルクソンが逝去したのは1941年――、今をときめく Elie During によって「想像された」三通の書簡が公刊された(Critique, Mai 2008, 732)。二通目は、1967年12月に博士論文『差異と反復』の最初のヴァージョンをもとに交わされた会話を受けての、ベルクソンによる『差異と反復』に対する感想を述べたもの。三つ目は、『アンチ・オイディプス』(?、もしかしたら『千のプラトー』?)に関する感想を述べている。こんな書簡があったら、研究史も様々な意味でひっくり返るであろうと思わせる、刺激に満ちた楽しい企画である。
『差異と反復』について論じる二通目の書簡においては、問題としての理念と微分に関する議論にとりわけ関心をもったこと、「思考のイメージ」をめぐる第三章が成功していると思われる、といったことが述べられる。三つ目の書簡においては、『アンチ・オイディプス』(もしくは『千のプラトー』)のパッチワークのような叙述の仕方とウイリアム・ジェイムズの「地図製作」とを関係づけた上で、「構築主義」を示唆し、また書簡での議論をもとに「リゾーム」概念を肯定的に評価し――どうも、著作としての『リゾーム』の刊行を勧めたのはベルクソンらしいのだ――、自らの場合と同様に、著作を読みもしない者どもによって誤解されることの危険性を老ベルクソンが示唆する。そして、最後には、哲学の方法をめぐる著作の執筆を勧め、また、映画論執筆の企画を喜んでいる。
というわけで、1966年から1970年代(もしくは80年初頭)という時期にわたるベルクソンとドゥルーズ交友関係が捏造され、『リゾーム』も『哲学とは何か』もベルクソンの強い勧めのもと執筆されたことになった。単なる遊びといえばそれまでだし、ベルクソンの文体のパステイシュが成功しているかどうかは私には評価できない。また、『差異と反復』第四章におけるベルクソンの潜在性概念に対する批判にベルクソン=During がどのように応接するのか、ということも知りたいとは思う。だが、この遊びを通して、ベルクソン/ドゥルーズ関係の広がりが興味深い仕方で示されたのも事実である。(とてもよく考えられた遊びで、冒頭の「忠実な」という措辞は、抹消されているとのことらしい。)
なお、この「未公刊」書簡は、「戦場の[斜交いの?]ベルクソン」という小特集の一つで、他には、 シャルル・モーラスに関する書物と François Azouvi によるベルクソン受容に関する書物への書評(Antoine Compagon)、先日来日した Pascal Engel によるジュリアン・バンダ/ベルクソンに関する論考、そして、昨年京都でベルクソンの哲学史関係講義録に関して情報量の多い発表を行った Camille Riquier による、 « Bergson (d')après Deleuze »という題名の最近のベルクソン研究とその意義を俯瞰するような見事な書評が掲載されている。
2008/5/11 17:01
投稿者:おぎはら
ああびっくりした。
