2005/8/14 15:11
あの子は今@ パン職人イスマイール 分類なし
1992年の開校から13年たったアトファルナろう学校から巣立った卒業生について、パレスチナ子どものキャンペーンのインターンとしてガザに駐在している中村哲也さんからのレポートが届いています。
就職第1号
「卒業生が作ったのよ」アトファルナろう学校を訪れる来客にパンやお菓子をジェリー校長が誇らしげに差し出す。チーズや野菜が入っているロールパン、アラブ風に香辛料を効かせたもの、クッキー風の生地にジャムを挟んだり巻いたりしているものなど様々だ。アトファルナから車で5分ほどいった所にあるパン屋“No.1”からこれらのパンとお菓子は届けられた。小さいお店の前に立つと焼きたての少し甘い香りがして、大きなショーケースにこんがり狐色に焼けたパンや色とりどりのお菓子が並んでいるのが見える。奥からは短髪で手足のひょろっと長い青年が現れた。
イスマイール・アル・ジャッバ。アトファルナを卒業して以来、このお店の職人としてパンとお菓子を作り続けている。働き始めてから9年、当時13歳だった彼も22歳になった。重度の難聴を抱え、1992年のアトファルナ設立と同時に入学。5年生のとき、アトファルナの先生に連れられて職場見学としてこの店を訪れ、パン職人としての道に入ることを決める。店の名前と同じく、彼は卒業生の中でアトファルナから就職を決めた第1号なのだ。
一家を支える稼ぎ手に
彼は男6人、女6人の12人兄弟の上から2番目だ。妹3人がアトファルナに通い、末の弟はダウン症である。1番上の兄は昨年大学を卒業したが職には就けていない。ガザで下水の工事をしていた父親は2ヶ月前にガンで他界したばかり。1つ年下の妹は大学生だったが、毎日の交通費の2シェケル(50円)もままならない状況になり休学をして家で内職をしている。13人家族の中で稼ぎ手はイスマイールと妹の内職のみ。難民ではないので国連の支援も受けられない。彼の稼ぎは一家にとって大切な収入となっている。
彼の仕事は朝7時から始まる。2時にお昼休憩を挟んで家に帰るのは6時くらいになる。お店の様子によっては遅いときで10時くらいまで残業をするときもある。パン生地をこしらえたり、粉をふったりする手つきは慣れたものだ。「仕事はすごく好きだな。ストレスもないし、面白いよ。」とイスマイールは自信を持って言う。初任給の100シェケル(2,500円)も毎年の昇給を重ねて1200シェケル(30,000円)にまでなった。
言葉が無くても気持ちは通じる
当時のアトファルナには職業訓練もなく、就職準備は有志の先生によって行われていた。イスマイールは、卒業を控えた3ヵ月間を調理訓練に費やした。「女の子4人の中に男の子1人。彼は当時から“僕はキッチンでやることは好きだよ”と言っていたの。パンやケーキ、ピザの基本的な作り方を勉強したのよ。」と当時彼に料理を教えていたヒルダ先生は語る。5年生のときに担任をしていたサミーラ先生も「彼が就職したのが13歳のときでしょ。働くにはまだ幼すぎる。私も心配だったし、卒業を控えた頃の彼は不安げだったことを覚えているわ。」こうしてイスマイールはスタッフの期待と心配を背に受けてアトファルナを巣立っていった。就職後の3ヵ月間はソーシャルワーカーが2〜3週間に1度、電話や職場訪問を通してイスマイールが働く様子を見守った。
興味を持っていたことも手伝ってイスマイールは順調に仕事を覚えていった。またお店がイスマイールを受け入れてきた姿勢がある。パンをご馳走になりながらオーナーの話を聞いた。「先生や家族から彼の能力や生活の様子を聞いて、うちの仕事ならやれるって信じていたよ。実際、彼は人柄もいいし実によく働いている。だから例えお店の稼ぎが少ないときでも、お給料はちゃんと出しているよ。うちの従業員も始めから手話ができたわけじゃないが、彼は唇や手の動作を読んでこっちが伝えたいことを理解できるし、簡単なジェスチャーから始めて少しずつお互いの意思を伝えられるようになっていったんだ。大切なのは相手から敏感に感じとることなんだ。相手が怒っていたり嬉しそうにしてたりするのを見れば、言葉がなくても気持ちはわかるだろう。それと同じだよ。」
親友を得たアトファルナ
アトファルナでの日々についてイスマイールに聞いた。
「アトファルナで1番思い出に残っているのは4年生。今でも一瞬一瞬を思い出せるよ。入学してすぐは読み書きができなかったのが、段々と分かるようになってきて、テストの点を友達と競い合うようになった。ビラールは1つ年下だけどあの頃からの1番の親友だよ。学校が終わった後も毎日一緒にお互いの家を訪ね合って勉強したり、サッカーしたり、冗談を言い合ったりしてた。仲間のことや家族のこと、新しく入学した子のことなんか。大人になったいまの話題はね、結婚とか女の子のこと(笑)。僕にはガールフレンドはいないんだけど、ビラールにはいるんだ。お互い何でも言い合う仲だよ。秘密を共有できるっていうのは貴重な友達さ。他にも政治的なことやガザの悲惨な状況、事件についてはよく話すかな。そうだねぇ、他の人と意見や考えを交換し合うことの大切さや、友達というものの素晴らしさを知っていったのがあの頃だったと思う。職場の友人ともコミュニケーションは取れるし冗談も言い合うけれど、やっぱりアトファルナの友達はいいなぁって思う。ビラールといるときが一番安心できるんだ。今でも休日は一緒にいるよ。」
ゆっくりと色々なことを話した。戦争のこと、彼が生まれたイラクのこと、携帯電話の目覚まし機能にバイブレーションがなくて困っていること、仕事や給料のこと。
彼は真剣な顔つきで私に言った。「僕が家族を食べさせなきゃいけない。それに母や兄弟が欲しいものを買ってあげたいんだ。」父が亡くなり、兄も仕事がない中で自分が家族を支えなければという使命感を感じた。アトファルナから社会に飛び出た少年は青年となり、一家の大黒柱へとたくましい成長を遂げている。
就職第1号
「卒業生が作ったのよ」アトファルナろう学校を訪れる来客にパンやお菓子をジェリー校長が誇らしげに差し出す。チーズや野菜が入っているロールパン、アラブ風に香辛料を効かせたもの、クッキー風の生地にジャムを挟んだり巻いたりしているものなど様々だ。アトファルナから車で5分ほどいった所にあるパン屋“No.1”からこれらのパンとお菓子は届けられた。小さいお店の前に立つと焼きたての少し甘い香りがして、大きなショーケースにこんがり狐色に焼けたパンや色とりどりのお菓子が並んでいるのが見える。奥からは短髪で手足のひょろっと長い青年が現れた。
イスマイール・アル・ジャッバ。アトファルナを卒業して以来、このお店の職人としてパンとお菓子を作り続けている。働き始めてから9年、当時13歳だった彼も22歳になった。重度の難聴を抱え、1992年のアトファルナ設立と同時に入学。5年生のとき、アトファルナの先生に連れられて職場見学としてこの店を訪れ、パン職人としての道に入ることを決める。店の名前と同じく、彼は卒業生の中でアトファルナから就職を決めた第1号なのだ。
一家を支える稼ぎ手に
彼は男6人、女6人の12人兄弟の上から2番目だ。妹3人がアトファルナに通い、末の弟はダウン症である。1番上の兄は昨年大学を卒業したが職には就けていない。ガザで下水の工事をしていた父親は2ヶ月前にガンで他界したばかり。1つ年下の妹は大学生だったが、毎日の交通費の2シェケル(50円)もままならない状況になり休学をして家で内職をしている。13人家族の中で稼ぎ手はイスマイールと妹の内職のみ。難民ではないので国連の支援も受けられない。彼の稼ぎは一家にとって大切な収入となっている。
彼の仕事は朝7時から始まる。2時にお昼休憩を挟んで家に帰るのは6時くらいになる。お店の様子によっては遅いときで10時くらいまで残業をするときもある。パン生地をこしらえたり、粉をふったりする手つきは慣れたものだ。「仕事はすごく好きだな。ストレスもないし、面白いよ。」とイスマイールは自信を持って言う。初任給の100シェケル(2,500円)も毎年の昇給を重ねて1200シェケル(30,000円)にまでなった。
言葉が無くても気持ちは通じる
当時のアトファルナには職業訓練もなく、就職準備は有志の先生によって行われていた。イスマイールは、卒業を控えた3ヵ月間を調理訓練に費やした。「女の子4人の中に男の子1人。彼は当時から“僕はキッチンでやることは好きだよ”と言っていたの。パンやケーキ、ピザの基本的な作り方を勉強したのよ。」と当時彼に料理を教えていたヒルダ先生は語る。5年生のときに担任をしていたサミーラ先生も「彼が就職したのが13歳のときでしょ。働くにはまだ幼すぎる。私も心配だったし、卒業を控えた頃の彼は不安げだったことを覚えているわ。」こうしてイスマイールはスタッフの期待と心配を背に受けてアトファルナを巣立っていった。就職後の3ヵ月間はソーシャルワーカーが2〜3週間に1度、電話や職場訪問を通してイスマイールが働く様子を見守った。
興味を持っていたことも手伝ってイスマイールは順調に仕事を覚えていった。またお店がイスマイールを受け入れてきた姿勢がある。パンをご馳走になりながらオーナーの話を聞いた。「先生や家族から彼の能力や生活の様子を聞いて、うちの仕事ならやれるって信じていたよ。実際、彼は人柄もいいし実によく働いている。だから例えお店の稼ぎが少ないときでも、お給料はちゃんと出しているよ。うちの従業員も始めから手話ができたわけじゃないが、彼は唇や手の動作を読んでこっちが伝えたいことを理解できるし、簡単なジェスチャーから始めて少しずつお互いの意思を伝えられるようになっていったんだ。大切なのは相手から敏感に感じとることなんだ。相手が怒っていたり嬉しそうにしてたりするのを見れば、言葉がなくても気持ちはわかるだろう。それと同じだよ。」
親友を得たアトファルナ
アトファルナでの日々についてイスマイールに聞いた。
「アトファルナで1番思い出に残っているのは4年生。今でも一瞬一瞬を思い出せるよ。入学してすぐは読み書きができなかったのが、段々と分かるようになってきて、テストの点を友達と競い合うようになった。ビラールは1つ年下だけどあの頃からの1番の親友だよ。学校が終わった後も毎日一緒にお互いの家を訪ね合って勉強したり、サッカーしたり、冗談を言い合ったりしてた。仲間のことや家族のこと、新しく入学した子のことなんか。大人になったいまの話題はね、結婚とか女の子のこと(笑)。僕にはガールフレンドはいないんだけど、ビラールにはいるんだ。お互い何でも言い合う仲だよ。秘密を共有できるっていうのは貴重な友達さ。他にも政治的なことやガザの悲惨な状況、事件についてはよく話すかな。そうだねぇ、他の人と意見や考えを交換し合うことの大切さや、友達というものの素晴らしさを知っていったのがあの頃だったと思う。職場の友人ともコミュニケーションは取れるし冗談も言い合うけれど、やっぱりアトファルナの友達はいいなぁって思う。ビラールといるときが一番安心できるんだ。今でも休日は一緒にいるよ。」
ゆっくりと色々なことを話した。戦争のこと、彼が生まれたイラクのこと、携帯電話の目覚まし機能にバイブレーションがなくて困っていること、仕事や給料のこと。
彼は真剣な顔つきで私に言った。「僕が家族を食べさせなきゃいけない。それに母や兄弟が欲しいものを買ってあげたいんだ。」父が亡くなり、兄も仕事がない中で自分が家族を支えなければという使命感を感じた。アトファルナから社会に飛び出た少年は青年となり、一家の大黒柱へとたくましい成長を遂げている。
