2008/4/19  8:18

偏食を克服。  映画

これまでほとんど食わず嫌いに近い形で見ずにおいた『クラッシュ』になにか気になるものを感じて、かねて買っておいたDVDでとうとう見た。
このようないわゆるヒューマニズムに対してはずっと警戒心を抱いてきたし、また昨今私が顕揚する「カツゲキ」に本作が該当するとも思われない。が、もしかするとなにか勘違いしているのかもしれないが、これは、いい。これじたいは特に新しい発想ではなく、どちらかといえばいわゆる「グランド・ホテル形式」の、フェリーニ/アルトマンを経由したのちの変形ヴァージョンだが、ここからいまに至る新しさ、説明なしで進行していくスペクタクルが発生している気がする。この作品では最初に前提が(ロスは云々……とドン・チードルによって)語られるが、現在のアメリカ映画の新しさはそれがどこの街、どこの地方であれ国家や世界を前提とせず、また暗喩もせず、それそのものを描こうと……いや、それそのものになろうとすることにある。つまり、この映画からドン・チードルの冒頭の台詞を抜いたものが現在のアメリカ映画の透視図ではないか、という推論。これ一作だけが端緒となったわけではないだろうが、アカデミー作品賞を獲得した本作の影響はそれなりにあった気がする。その程度には見られるべき作品だ。それとともに、ほとんどドン・チードルやマット・ディロンなど、俳優たちに説得されるようにして見ていた。特に素晴らしいのは『ハッスル&フロウ』でも共演したテレンス・ハワードとリュダクリス。二人のシーンはもちろん、夜に車を運転していたテレンス・ハワードが降る雪に誘われて車を降り、燃え上がる車にがれきを投げ込むあたりの抒情にはほだされた。あの雪を見ながら、何十年も前、当時は普段めったにテレビを見て泣くことのなかった私が『刑事コジャック』の最終回で、クリスマスの雪に向かってコジャックが叫ぶシーンで涙が溢れて止まらなかったことを思い出した。また不法入国のアジア人をどうやって人身売買から救い出したかは描かれないが、かれらをチャイナタウンに解放したあと、リュダクリスがニヤッと笑うところもアメリカ映画なら当然行われるべき憎い演出だった。だからそれらは「カツゲキ」とはちがうのだけれど、そこから「カツゲキ」まであと一歩、ひとひねり、すればいいのだ。だがこの一歩、ひとひねりが難しい。あの素晴らしい『バンテージ・ポイント』のカーチェイスは「活劇」ではあるけれど、しかし「カツゲキ」かどうかは定かではない。それはほんのちょっとの誤差の世界なのかもしれないし、同じものの別次元の展開ということなのかもしれない。

それにしてもいったい『クラッシュ』というタイトルの映画はこれまで何本作られたのだろう。

夜はキタキュウ会。禁酒中&早寝早起きの私は、焼酎たった三杯で前後不覚に。



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