2006/12/20  23:43

教育基本法改正で思うこと・・・2  ニュース

1に続いて、今度は半兵衛さんのブログ記事3つを読んで
いろいろ思うことがあったので
自分の頭の中を整理しながら書いていこうと思います。→こちら

自分が半兵衛さんのブログを読んで感じたことは
愛国心を学校が教えたり評価すると国が定めることが
それほどいけない事なのかどうか、ということです。
愛国心は心の問題で、それを評価対象にすると国が決めたら、
心の中を国が強制することになるからいけないこと、と本当に言えるのでしょうか。

当たり前ですが今回の教育基本法は、背いたからと言って
何か罰則とか処分があるわけではありませんよね。
ですから学校が愛国心を教えても、それに従わない生徒がいたら
罰金とか、懲役とか、何かペナルティがあるわけではないですよね。
これって国が子供達に心の内面を強制してることになるのでしょうか。

それに自分は学校が愛国心を評価をすることはいけない、とは思いません。
なぜなら、心の問題を指導・評価するのも
義務教育の一環として必要だと思うからです。

自分は子供の頃、通信簿に「理科の実験に一所懸命に取り組んでいました」とか
「生徒会の活動をまじめにやっていました」など、
よく先生のコメント欄に書かれていました。
もちろん、「落ち着きが無い」などマイナス点もいっぱい書かれましたが
そもそもなぜ、先生が通信簿にそういうことを書くのでしょうか。
それは、先生が学校生活における「意欲」や「態度」といった「心の内面」を、
「評価」しているから通信簿に書くのだ、と思うのです。
また理科や国語といった各教科の評価にも、
「関心・意欲・態度」といった項目が必ずあって
「良い」とか、◎○△などの記号で評価がされていました。
それに学校では「道徳」という「心の内面」を教育する科目があるではありませんか。
つまり、義務教育では、
課題が「わかる」「出来る」ように教育することももちろん大切ですが、
それと同時に課題に取り組む「意欲」や「関心」といった
心の内面を教育することも大切なことだと自分は思うのです。
では、その心の内面を評価するにはどうするか。
それは生徒の「行動」や「態度」を見て評価する以外、方法はないと思います。

例えば理科の実験で、「実験結果が既にわかっているからやらない」
と言う生徒がいたとしたら許されるでしょうか。
また、「こんな実験、自分の人生に必要ないから」
と言ってやらない生徒がいたら許されるでしょうか。
そんなはずはありません。「結果が分かっていても皆と一緒にやりなさい」
「何事もやってみようとする気持ちが大切なんだよ」
といった感じに、先生は指導するに違いありません。
こんな生徒はいくらテストで100点だろうとも
理科の「関心・意欲・態度」の欄は×の評価だと思います。
どんな立派な考えや思想があろうとも、やらなければいけない事に対して
「やりたくないことだからやらなくていい」と言う理屈は、
学校では(社会においても)とおりません。
ですから、実際の学校では「内面の心の強制」なんていうものは
すでに存在しているわけです。
そういうものを全て否定したら学校教育は成り立ちません。
その中でなぜ愛国心だけ、
学校が教育することや評価の対象にすることがいけないのだろうか、
と自分は考えてしまうわけです。
ですから自分は、例えば通信簿で5段階評価をしろ、とまでは言いませんが、
愛国心を持つことはいいことなのですから、
道徳のように「愛国心」をひとつの項目として
◎や△なんかで評価するのは別にかまわないのではないかと思っています。

ですから、結局、前回にも書いたように
愛国心や公共心などを軽視しがちな今の現状があって、それは良くないから
明確に国の方針として法文化して、学校で教える事にしましょう、
ということだと思うのです。
よって自分は、国が強制することになるからいけないこと、とは思わないわけです。



コメントを書く


名前
メールアドレス
URL
コメント本文(1000文字まで)


RSS1.0