2008/5/6  22:41

シューベルトの即興曲に寄せて  色彩的論文

シューベルトの即興曲に寄せて@

伊東光介

題材 Franz Schubert:Impromptus,Opus 90(D 899)

 大学在学中からの私の主要研究テーマでありました“即興演奏”というジャンルは、私を魅了するだけでなく、研究すればするほど、または演奏すればするほど、私自身の中に様々な葛藤が生まれていくことは否めない存在でありました。私は作曲科に在籍していましたが、作曲することにおいてだけでなく、演奏も含め音楽への姿勢として、常に聴衆を意識することを念頭においてここまで歩んできました。音楽と向き合うことの大切さを思うあまり、音楽を知れば知るほど、音楽を音楽として捉えることが出来なくなってしまうことが私にとって恐いことでありました。そのことは、より主観的にしか音楽を見つめることが出来なくなってしまうことにつながり、その先に待っているのは聴衆との壁、そしてそれは自己満足という音楽家にとって最も閉じられた姿勢になってしまうということになりかねません。ですから常に聴衆への意識を持っていることで、少しでも自己の中で主観的な観点に、客観性をバランスよく取り込める気がするのです。簡単に言いますと、私はいつでも音楽を楽しみたいのであり、それ以上に楽しんでいただきたいのです。もちろんそれを突き詰めていきますと、楽しむとは何か、自由とは何かという無限な自己への問いかけが始まってしまい、木の枝のように分かれていく自問自答の迷路へと迷い込んでしまい、そこには終わりがありません。もちろん、音楽においても終わりはないのですが、個々の作品に終わりはあります。それらは常に終止線という終わりに向かって進んでいきます。図形楽譜においてさえ、どこから始めてどこで終止するかを決定しなくてはいけません。音楽とは演奏されるためにあるのであり、演奏されることによって始まり、それを聴くこと、あるいは聴いていただくことによって終わりへと進んでいけるのです。
 美術と音楽の最大の違いはそこにあるかもしれません。例えば絵画などにおいて、その作品の始めと終わりを、その作品を見ただけで、わかることが出来るでしょうか?それは画家によって決定されますが、始まりと終わりはいくらでもぼやかすことが出来ますし、ぼやかさなくともそれらは簡単に隠されてしまうでしょう。ましてや絵画にとって始めと終わりという概念は、あまり重要でないかもしれません。なぜなら完成された絵画は、作品全体を瞬間的に捉えることが出来るからです。しかし音楽においては、始まりと終わりを聴くまで、全体を捉えることが出来ません。瞬間的に終わってしまう作品においては、そうとも言えるかもしれませんが、それでも始めと終わりという概念は重要であります。ですから、その意外性に驚かされるのです。そしてこれは美術においても共通することかもしれませんが、私一人だけでは何も始まりません。なぜなら過去の人達が作りあげたものを私は受け継いで今ここにいるからであります。そう考えると、私は未来に向けて音の花束を献呈するという使命を忘れてはいけないように思うのです。そしてそこには、常に聴衆という存在があることも忘れてはならないと強く思います。なぜなら聴衆=現在であるからです。過去に感謝し、未来に進んでいくと同時に、現在を見つめるということが重要なのであり、それこそが本当の意味で自己を見つめる(葛藤)ということなのだと思うのです。
 シューベルトが最晩年に作曲したピアノ作品の“即興曲”の中に、私へのそういった提示がいくつもあるのです。シューベルトは、即興曲をOpus 90(D 899)とOpus 142(D 935)として各4曲ずつ作曲しています。その中でも私は、作品番号こそ早いですが後に書かれたと言われています、Opus 90の作品に特にひかれるものが多々あると思われるのです。ですからOpus 142の作品の方は簡単にしか触れません。しかしながら、こちらの作品においても私にとってとても興味深いものがあります。それはこの作品が4曲で一つの作品、いわば4楽章からなるソナタのように考えることが出来ると思うのですが、この一つの考えこそ特筆すべき事柄なのです。なぜならこちらが先に書かれたとすれば、即興曲というタイトルをシューベルト自身がつけたものではないという疑問をここでは除いて考えますが、そのジャンルを確立するにあたり、ソナタ形式という概念を用いて、そこからの逸脱(即興的逸脱=自由解釈)、つまり概念そのものを即興的に捉えていくことから始まったと考えることが出来るのです。
 ここで始めと終わりという先程の話が、ここでいうシューベルト自身の即興曲というジャンルにおいての、思考回路の始めを見出すことが出来るということとつながります。そしてOpus90の作品が後に書かれたとすれば、その4曲目のまさに最後の終わりを見れば、いかに彼が満足してこのジャンルを終えているかがわかるのです。つまり思考回路の始めと終わりを、いくつかの根拠を持って想像することが出来、この想像性こそ、この作品への即興的解釈と言えるのです。そしてこれを私は、シューベルトが示した音楽(音楽全体)に対する開かれた姿勢の提示と考えます。これからOpus90の4曲のそれぞれの即興曲において、私は私自身の即興演奏(演奏するという行為そのものだけでなく概念も含めて)とを対比させ、敬意を持ってかつ柔軟に論じていきたいと思います。



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