2008/5/10  19:35

シューベルトの即興曲に寄せて  色彩的論文

シューベルトの即興曲に寄せてA-1

伊東光介

題材 Franz Schubert:Impromptus,Opus 90(D 899)、第1番 c moll(ハ短調) Allegro molto moderato

 この論文の@で、Opus142の4つの即興曲が4楽章からなるソナタのように考えることが出来、それがこの即興曲というジャンルへ発想においても即興性を取り入れているのではないかと論じましたが、Opus142ではソナタ形式を用いながらのそこからの逸脱(即興的逸脱=自由解釈)なのに対し、Opus90の4曲の即興曲の第1曲目のこの作品では、変奏曲形式という概念を自由に扱っているのです。
 フェルマータの付いた両手オクターブによる属音(強度はff)で曲は始まります。この音はこの曲の想像性を高めます。この作品を演奏または分析するに当たり、想像力を働かせることは不可欠であります。この作品からいくつものオーケストレーションを想像することが出来ますし、しなくてはいけないと思うからです。ですからオーケストラという概念なくしてこの曲の解釈はありえないのです。その想像力を高めるのが最初の音なのであり、その音を演奏者が聴き、イメージすることで、主観的な観点に客観性を取り込めることが出来るのです。
 ソロとトゥッティによる音色の交代と、ハ短調と変ホ長調(並行調)の調の交代による多重要素の提示の後、変イ長調での変奏が始まります。そこでは伴奏音形が3連音符となり、最初の変奏を3連音符が音楽の動きを引き立てているのです。ここで特筆すべきは、転調についてであります。転調の交代というのは主題では並行調という近親調で提示されていますが、その交代という概念がここでは、変イ長調から変ハ長調という遠隔調の関係になっているのです。音程的に考えると主題でのハ短調と変ホ長調の関係と、変奏での変イ長調と変ハ長調の関係は、共に短3度上への転調となっていますが、変奏では長調で始まっているので、それは短調からの借用という概念を挿入しなくては理論的に説明は出来ません。ですからそんなに簡単な転調ではないのです。しかしここでシューベルトは、これ以上ないというくらいにその転調を自然に行っているのです。私はその技術の高さに敬意を表さずにはいられません。その変奏では旋律と伴奏の展開も行われています。右手と左手の役目の交代により、バランスの交代という概念がここで加わります。
 その変奏が終わると、変イ長調によるメロディックな場面が始まります。私はここで自分の即興への概念とを照らし合わせることになります。即興をする時、何かからインスピレーションを受け、そのテーマを扱い変奏していく時、時に単純に時に複雑に重ね合わされていく音、または思考によって構築されていくのですが、その辿り着く先には常に、メロディーという感情が待っているのです。明確なメロディーを作り出すこと、これは即興演奏においても大切な要素だと思うのですが、ここでシューベルトが示しているのは、ある過程を経て、そこまでの部分を演奏という形で通過した時、即興的にメロディーを紡ぎ出していく場面を挿入するという実践を通した即興性なのです。これは私の即興演奏(実践)の概念と重なります。
 8小節の短いそのメロディックな場面が終わると、それからの6小節というものは何とも単調な通過に過ぎません。しかしながら、一見その単調で作曲的な視点ではつまらないと感じてしまうその6小節に、私は強い魅力を感じてしまったのです。もしかしたらここの音は全てシューベルト自身の即興演奏をそのまま音に記したのではないかと感じたからであります。この6小節は次の音楽を紡ぎだすための経過であり、それを演奏を止めないで思考し続けるという、彼の実践を通した即興演奏の跡を見出せる気がするのです。8小節のメロディーの美しさを考えると、この6小節はその余韻とも考えることができます。しかもその余韻は作曲者自身のものであり、ここでシューベルトは主観的観点への実践を通した客観性の取り込みに、さらにその中で主観を見出すという複雑な工程を行っているのです。



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