2008/5/11  22:21

六角箱のちびちび鉛筆  雑感

 2日ほど前、友だちに「受付のときに使うから、あの鉛筆もってきてね」と頼まれた。あの鉛筆とは、うちの娘たちが使っていた鉛筆で、手動の鉛筆削り機では削れなくなった長さの鉛筆のことである。長さは6センチから7センチぐらいのもので、箱に仕舞っている。大勢の人たちの受付をするときには、これが重宝するのでお呼びがかかる。

 短くなった鉛筆は専用のホルダーにつけて使おうとは思うのだが、娘たちが使っていた4Bや2Bの濃さだと使いにくくてついしまったままになっている。だけど、それは言い訳。短くなった鉛筆をカッターナイフで削るのが面倒だから、というのが本当の理由だ。

 私が小学校の低学年のころ、母は鉛筆をいつもナイフで削ってくれていた。手できれいに削られた鉛筆は使いやすくて、仕上げに芯のところをしゅっしゅっとしごくように削るととても書きやすくなった。短くなったものも、とことん使い抜き、必ずホルダーをつけて最後まで使った。ある日、母は厚紙に線を引いて切り抜いて、六角形の箱を作り、それにピンク色の小花柄の布地を張り付けてくれた。

 もうこれ以上削れない、ホルダーにもはまらないという状態まで使った鉛筆をそれに入れることにした。その可愛い箱を作ってもらったら、小さくなった鉛筆がその箱に少しずつたまっていくのがうれしくなった。そのちびちび鉛筆をしばらくため込んでは、時々数を数える。うれしくて担任の先生に見せたら、とても驚かれたことをよく覚えている。いつしか母みたいに上手に削れるようにと、見よう見まねで自分でも削るようになったが、あのピンとした形にはなかなか及ばなかった。

 きっと、のんびり、おっとりの私が学校の用意をするのをそばで見たりしながら、鉛筆を削ってくれていたのだろう。そこに、母の子への眼差しとともに、母の物を大切にする心と美意識まで感じる気がする。今も、そのちびちび鉛筆の入った六角箱は、大事なオルゴールと共に、すぐ手に取れるところにある。久し振りにその箱を開けて中の鉛筆を眺めると、その見事なことに驚く。

 鉛筆の削られていない部分は1センチもない。どうやって削るのかちょっと想像できない。方やうちの娘たちの鉛筆は削られていない部分が、まだ5センチくらいある。何かにつけ、いつも思うことなのだが、「やっぱり、いつまでたっても及ばないなあ・・・」と幼いころに母から伝えられたことの大きさにまたため息をついている私である。
 
 温かく育ててくれたことに感謝しつつ、そしてこれからも元気でと祈りながら・・・母の日によせて。

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   六角箱のちびちび鉛筆と
        並べるとなが〜く見えるちび鉛筆

2008/5/6  21:25

元気をくれる野菜たち  

 昨日立夏を迎えて、先月17日からの春の土用は終わった。土用の間は大きい建築の鍬入れはしないと聞いたことがある。土を動かすことを嫌うからだとか。近年はないが、以前よく腰痛を起こしていたときがあって、それが丁度土用のときが多かった。季節もよいからと庭仕事に精を出したら、翌日に腰痛になる。

 もしかして、これは土を動かしているから?と私流の辻褄合わせをして、土用の間は草木を植え替えることはしなくなった。庭仕事をするとしても、掃除と枝切りにとどめる。どんなに気になっても草抜きもしない。年に4回ある土用のころ、どの時期も土いじりをしたくなる季節の変わり目だ。その2週間ほどを我慢しているうちに、はやる気持ちは収まり、またこれから後手後手のんびりの庭仕事となる。

 1週間ほど前に知人を亡くしてから、気持ち半分でぼうっとしてしまうことが続いているが、その中でも力をくれていたものがある。毎週土曜日に送られてくる元気野菜。農薬や化学肥料を使わないこだわりの野菜だ。以前も送ってもらっていたが、今年は4月から本格的に始まった。「豊実箱(とよみばこ)」と呼ばれる東金市の志野ちゃん宇井ちゃんから送られてくるまさに宝箱だ。志野ちゃんとその近辺の農家さんたちの力作がいつもいっぱいだ。

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 これらが、先週末に送られてきたこれらの野菜たちだが、もうすでに9割がたお腹に入ってしまった。当日便で届くため、葉ものもピンピンしている。ブナシメジもこんなに香りがあるものは初めてだ。気持ちが沈み、料理をする意欲に欠ける時ですら、この野菜たちを見るとそのままのパワーをいただこうという気持ちになって、シンプルな料理でいただいた。

 ブナシメジは、平飼い卵で卵とじにしたり、ホタテのクリーム和えの中にソテーして入れた。赤玉ねぎ、サニーレタス、二十日大根はサラダに。独特の苦みと風味がおいしいルッコラは、ローマ帝国時代には惚れ薬の効果があると言われたという解説がついていて、惚れられ薬ならなおいいのにねと言いながら、肉とソテーしたり、サラダにしたり。

 ころころとした小ぶりの新玉ねぎは丸のまま、にんにく、人参や白菜などと野菜だけのスープにしたら、甘みというかうま味がそのまま滋養になるのを感じた。ちぢみほうれん草は、緑が濃くソテーにしたら甘かった。ネギは新発想(?)で、肉じゃがに玉ねぎの代わりに入れてみたら、とろけておいしかった。

 こうして、育てあげた野菜たちを土用であれなんであれ、きっとふかふかしているであろう畑から掘り出してきて私たちに届けてくれることに心から感謝をした。土を耕さず、畑に行かず、新聞紙につつんでおいた野菜たちを野菜置場から持ってくるだけで、私たちは力をもらってしまった。おいしくいただきながら、日本の農業を営む方たちの勤労成果はもっともっと高く評価されるべきだと思う。いつもごちそうさま。

2008/4/30  21:45

ひとつのいのち  交流

      ひとつ 大事な星が突然姿を消した

      彼の地 ネパールで

      おだやかな笑顔 何事にも謙虚な姿勢

      そして 仕事に向かえば厳しくもあっただろう

      ひとりの人に ひとつの命しかない事実

      失ったらもう 代わりのないことを痛いほど思い知る 

 昨晩、まだ若い知人の訃報を突然聞いた。また会えることが当然だと思っていたばかりに、信じられない。ひとつひとつの仕事で成果を残し続けながら、会った時はいつもとろけそうな笑顔を向けてくれた。こんなに笑顔ばかり思い浮かぶ人もめずらしいのではないかと思うほど。

 人の命はあらかじめ決まった寿命があるのだということを、私は諦観の気持ちで自分では納得していたつもりだったけれど、こんなに突然その事実を突きつけられたら、とても納得などできないものだ。神さま、どうして?という気持ちでいっぱいになる。

 昨日は私がこの世に送り出されてちょうど数十数年目のその日だった。朝早くからお祝いの声をかけてもらったり、メールをいただいたり。友から幸せのクローバーの鉢植えをいただいたり・・・ありがたい日を過ごしていた。朝からイネの苗の世話やらで忙しく動き回りながら、こんなに動く体で元気であることに感謝の気持ちで一日を送っていた。

 そして、それと同時にいつまでという保証のない自分の命をやっぱり一日一日大事にして生きたいと考えた。大村はまさんの著作に「バケツの水をあける時のように」という言葉があって、それがとても印象に残っている。雑巾を洗って、汚れと濁りのある水を捨てる時、ただ普通に捨てると後、バケツに汚れた澱が残る。それをきれいに捨てるためには、ぐるぐるとバケツの水をかき回しておいてから思い切りよく捨てるときれいさっぱり捨てられる。

 何かを書くときも、自分の中にもうこれ以上ありませんというくらい、思い切り出し切ることを勧められていた。何かを書くときも、生きるときも、これ以上ありませんというくらい必死にやっているだろうか。ついつい自分の余力が残るようにしてしまうのが常。いつもとはいかないまでも、たまには「バケツの水をあけるように」やり遂げてみたいものだ。そんなことを考えていたら昨晩の事実。悲しみの中、思考能力を失うような頭におぼろげながら浮かんだことは、与えられた時間の間、心と体を惜しまず充分に働かせようということだった。・・・彼女の笑顔を繰り返し思い出しながら。 

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夜になると葉を折り重ねるように閉じて 
      朝になるとたたんだ葉をのびのびと開くクローバー
         部屋の中なのに陽の光をちゃんと感じているんですね

2008/4/25  13:52

特製硬ねりごま  

 とうとう、昨日は目当てのバターを買いそびれた。近隣のスーパーの店頭ではめっきりバターの姿を見なくなってしまって、それには慣れ始めていたけれど、製菓材料などを買い込むところでも無いのだ。ニュースでは、牛乳の生産量が少なくなっていたから云々と言っているが、マーガリン離れが起こっている背景には、やはりトランス脂肪酸の問題があるのでしょう?

 できるだけナチュラルに作られたものという基準で私はバターを選択してきたけれど、以前は動物性脂肪だからと敬遠もされていたはず。新たな情報を元に行動するということは大事だけれど、目先の情報だけでなく確かな物の選び方をしていかなければならないと思うこのごろである。

 うちで作るお菓子もシフォンケーキや、スポンジケーキという油脂分の少ないもの中心になって、バターケーキ類のパウンドなどは出番はない。これは体のためにもいいこと。子どもたちが小さいときのおやつを作るとき、油脂分や砂糖の少ないものを作ってきたが、その原点に戻っていく感じがして心地よい。先日も丸いスポンジケーキを作っていたら、「あれは、なんだっけ?」と娘が聞く。丸いスポンジケーキは誕生日やお祝いのときの定番だからだ。何かお祝いがあったっけ?という意味の疑問だった。なんにもなく、普段にもこういう卵と粉のシンプルなケーキの出番を増やすことにした経緯を説明した。

 さて、パンを食べるときのバターはどうなるのか。我が家ではシンプルなパンには、オリーブオイルをつけることも多くなっていたのだが、最近はゴマを使うことも多くなっている。料理にも使える甘みのないねりごま。瓶を開けたときにうっすらと覆っている油は本来は、一旦別の容器に出してから硬いねりごまを使うらしい。だが、うちではその油も一緒に瓶の中で攪拌して、そのとろとろ状態のねりごまに、すりごまをたっぷり混ぜ込み、硬練りと言えるぐらいのものを作っている。油っぽくなく、たらたらと垂れてこないので使いやすい。その特製硬ねりごまをパンにもつける。もちろん、好みではちみつとミックスしてつけてもおいしい。

 普通の生活なら、こうしてバターが品薄になろうとも何もあわてることはない。むしろ、体によりよいものを口にするチャンスが増えているかもしれない。今日はこの特製ねりごまのことをもっと書くつもりだったけれど、導入部分が長かったかな。続きはまた今度いつか。

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 うちのゴマの仲間たち・・・特製ねりごまの白と黒、皮むき白ごま
              すりごま、ごま油
              

2008/4/18  14:45

雨の日の磨きしごと  

 4月に入ってから雨の日が続くことが多い。雨の日だからこそ、ゆっくり取り組める家のことは、まず一番は片付け。ひたすら座りこんで不用品を選り分ける。このところの雨の日に、少しずつだけど着なくなった衣類、納戸に詰め込んでいた雑誌や本を間引いて捨てる作業をしている。とにかく家の中の重量を減らそう!というつもりである。

 そして、もうひとつ雨の日に集中できることは、磨くこと。今日、ざっと掃除を済ませたあとに取りかかったのが、まず靴磨き。家人のはき散らかした靴たち(もちろん自分のもだけど)の汚れを取って、それからクリームを塗っていく。ひととおり塗ったら、最初に塗ったものから磨いていく。それから次は、観葉植物の葉の表面を拭くこと。濡らしてしぼったコットンで一枚一枚拭いていく。

 そして、窓ガラス。雨だから家の中からだけだが、ぎゅっとしぼった雑巾で拭いていく。窓拭きには、新聞紙でやるとよいとかいろんな手立てがあるようだけど、私は、やっぱり布で拭く。汚れの強いところは、台所用の洗剤を少し含ませるぐらいだ。エクササイズのつもりでやると、なかなか気持ちがいい。

 さて、磨くというとやっぱり銀。体を動かしたあとだから、少しひと休みも兼ねて座り込んで銀製品を磨く。蝋燭立てと水差し。綿手袋をはめて、銀磨きの布で磨いていく。蝋燭のロウが垂れているところも見つけて剥がす。実は、昨日友だち3人で表参道の裏道の目立たない店をあちこちめぐって歩いた。その時立ち寄った英国アンティークの店で素敵な銀器を見ながら、我が家のくすんだ蝋燭立てが気になっていたから、渋いながらも光り始めてほっとした。

 磨き仕事に集中していたらいつの間にか1時半を過ぎていた。そろそろおしまいにしよう。休憩しながら、朝から水につけておいたガルバンソー(ひよこ豆)を火にかけようとしたが、ちょっと気になって、もうひとぶんばり。コンロ周辺をざっと磨いた。これでおしまい。火にかけた豆の鍋がコトコトいうのを聴きながら、ゆっくりお昼の時間を過ごす気持ちよさ。雨の日だからこそという家事を作っておくと、意外と雨の日も楽しみなものである。ノリよくはかどらせるコツは、気に入った音楽をBGMにしておくこと。ちなみに今日は、CHEMISTRYのCDを何度も繰り返して磨き仕事のお伴にした。

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 いつもはチェストの上に離れ離れに置いている蝋燭立て
   大好きな蜜蝋の赤いろうそくと
   (ろうそくは地味めな赤だけど、写真よりもっときれい・・・)

2008/4/11  21:57

即席スパイス寄せ集めカレー  

 新年度が始まって10日あまり。学校に通っている人も、お勤めの人も何か新しい環境の変化に新鮮な気分と共にちょっとした緊張感を感じている時期ではないだろうか。我が家でも娘たちが大学と高校で最終学年を迎え、春休みの少しゆるやかな生活リズムから5時半起きの生活になじませるのに、私も早めの睡眠を心がけているところである。

 さて、いつになく今日の夕方は長女が早く帰宅。「今日はカレーの気分だなあ」と言う。献立はだいたい決めてあったが、急きょカレーに変更した。といっても、カレールーも、カレーフレークも買い置きがない。調味料の引き出しにあるカレー粉を頼りに手持ちのスパイスを駆使してなんとかすることにしたのが5時半。

 玉ねぎ2個をスライスして、オリーブオイルを入れた鍋で、とにかく焦がさないようにしながら炒める。おろした生姜もその中に加えていく。カレー粉、コリアンダー、ターメリック、ブラックペッパー。そこら辺まではよいが、ちょっと不安になりながらガラムマサラ、シナモンなども加えていく。ブラウン色のねっとりとしたスパイスがまとわりついた炒め玉ねぎが仕上がってきたら、水を加えて、ブイヨンを入れる。ムング豆もパラパラと入れてみる。ルーのとろみに、小麦粉は使わず、じゃがいもをすりおろして加えて煮込んだ。

 塩、醤油(?!)で味を整えて、別にフライパンで炒めておいた肉、野菜をルーの鍋に加えてしばらく煮込んでできあがり。とりかかってから1時間半。グリーンサラダと、フルーツ(日向夏、リンゴ、パイナップル)のヨーグルト和えを添える。炊いたご飯が少なめだったため、あえてカレーライスとはせず、大きい器でカレーをテーブルに。うちの天然酵母の食パンもカリッと焼いて、ご飯でもパンでも好みで食べられるようにした。

 楽しみながら作った即席のスパイス寄せ集めカレーは、油脂分が多くないからか重くない。スパイスの取り合わせもちょっと心配ではあったが、うまく馴染んでいてまあまあの味となった。カレーのピリッとしたスパイスのパンチが、春の緊張感を打ち破ってくれたようでかえって満足。ハッピーな気分である。

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2008/4/3  22:13

「味の向こう側」は未知の世界  

 このところ小麦の値上げに伴って、お好み焼き、うどん、パンなどの値上げがニュースで報じられている。今朝は、日本人の主食である米を見直す動きが取り上げられていた。日本人としては、米を見直すという話題は、裏を返せばもともと大事にしてこなかったということだろうから、恥ずかしい話だなあとも思う。だが、今は食という文化について、もう一度よく考える時に来ているし、日本人にとってもいいチャンスなのだと思う。

 1か月ぐらい前にお米を分けたいから取りに来てと言われて、知り合いのお宅を訪ねた。上がりこんでお昼までよばれ、お茶を飲みながら話し込み、さて、帰るときについでに「これも持っていって読む? 返さなくてもいいから、また誰かに渡して」と言われて借りた(?)本。友人も勧めてくれたけどまだ手に取っていなかった本。「ホームレス中学生」だった。

 カバーがかかったまま棚に置いてあったが、1週間ぐらいして、「あれ?何の本だったかしら・・・」とふと夕食の片づけが終わって手に取ったら止まらなくなり、半分ぐらいは立ったまま読み、とうとうそのままその日に読み終えた。内容について詳しくは触れないが、読み終えた後に私の中に一番残ったのは、食べ物を噛むということについてであった。

 主人公がお金に事欠き、お米を食べるのは夕飯の時、それも1日に1膳だけ、ただそれだけを食べるというところ。ひとくちを10分以上かけて噛む。そして、その姉が一心不乱に噛み続けて、噛み続けて到達する「味の向こう側」と名付けられた境地。味がなくなったかと思って飲み込もうとするときに感じる味覚。「真剣にお米のことを信じて噛み続けた者だけが到達できる、瞬間の味のきらめき。」と表現されていた。想像も難しいような境遇の中で、ひとくちのご飯をそれだけ慈しむ食事。

 私は「ホームレス中学生」を読んで、食べるということの中に、何をどう調理してどのようなバランスでどれくらい食べるかということに隠れて、一度口に入れたものをよく噛んで大事に味わうことを忘れてしまっていたことに気づかされた。それから、日々の食事では今までよりも噛むことを大事にはしているが、まだまだ「味の向こう側」なる境地には達したことはない。

 ふと禅寺の修行僧のご飯を想い浮かべてみる。ご飯、沢庵、梅干し。経験はないけれども、そんなことも想像しながらよく噛みながらいただく。別に粗食を勧めるわけではないが、大事にしたいのはその季節ごとにそなえられたものとお米のご飯をじっくりと味わうこと。それなら今問題とされているメタボへの道も閉ざされるのではないだろうか。「ホームレス中学生」の極限状態とも思える食の姿は、状況の変化に右往左往しない食の姿を考えるきっかけを私にくれた。

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夕飯は五分づき米のご飯、根菜類の煮物、ホウレンソウと油揚げの和えもの、
鶏肉のピカタ。食後に広島県産柑橘「はるか」で作ったゼリー

2008/3/28  21:20

28日は月渡しの日  雑感

 去年の11月からこの日記を書くことを休んで、自分なりのペースを取り戻して、今年になってやっぱり少しずつ書いていこうと思ってから早や3か月が過ぎる。どういう方たちが読んでくださっているのか、わかっているようで、実はほとんどわからない状態である。そもそも書き手である私のことでさえ、「ゆきやなぎ」という自分とはちょっとかけ離れた白くって、たおやかな植物の名前を借りているわけだから仕方がない。身近かで、普段よく会っている人ほどこの日記の存在を知らなかったりする。

 そんなこの日記が7000アクセスを迎えるので、その切り番を踏んだ方はできたら名乗っていただきたいと書いたのがほぼ1か月前。そして、その切り番を超えたあとに誰からも連絡がなかったから、気づかれなかったのか、コメントを書きにくかったのだろうなと思っていた。そうしたら、その翌日かに母からメールがあり、実は夜に父と久々に日記を見たら、ちょうど7000だった・・・とあった。

 驚いた。まさかそんな、一応私にとっては記念すべき時に日記を開けた人が両親だったとは。少し前に、そろそろ7000になるとは電話で伝えてはいたけれど、そう頻繁に読んでいるようではない両親がたまたまその時に当たるとは。ひとつひとつのアクセスが積み重なってたどり着くものだから、7000番目だけがありがたいわけではないが、やっぱりめでたいのだよ・・・。ちょうどの時を踏むのはいかに難しいのかを伝えたら、やっとすごいことだとわかったらしく、喜んでくれた。

 それにだ、その7000アクセスを踏んだ日が2月28日だということで、母が「28日というのはね、月渡しの日と言ってね・・・」と話し始めた。母曰く、28日の明暗は翌月にもその明暗が引き継がれるのだいうことだった。それで、28日にそんなにいいことがあるんなら、3月もいい月だとまた重ねて喜んでくれたのだった。ふうん・・・そんなこと以前に聞いたことあったような気はしたが、ちゃんと記憶していなかった。とにかく、めでたかった。

 当初、7000アクセス目の方にコメントいただけたらと書いた時点で、先方さまに迷惑でなければ、私が作ったお菓子かパンを送ろうかなと考えていた。それで、母には、近いうちにお礼のパンを送るよ・・・といいつつ、親なのでつい気が緩んでしまってのびのびにしてしまっていた。それでついでなら、また28日をハッピーにしようと、28日に両親のところに届くように昨日午後パンを焼き上げ、宅急便で送った。そして今日、3月28日3時のお茶の時間に間に合ったようだ。

 28日は月渡しの日。母はその祖母(私の曾祖母)から聞いた話。そんな語り継がれてきたことをもっと知りたいな、そして大事にしたいなと思う。以前何気なく聞いたような・・・という話の聞き方ではないかん。7000アクセスはただの切り番ではなく、人の話はちゃんと聞こうと改めて思った記念すべき出来事となった。みなさまの来月もよい月になりますようにと祈りながら・・・


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ブリオッシュ。リング型と1個ずつになったものを宅急便にて・・・

2008/3/23  21:37

今年は早めのイースター  自然

 今年の初めごろに、暦のことを書いた。旧暦の季節を意識して暮らしていきたいと。春分の日を過ぎ、桜の開花が日々の話題になるのだから、どうみても春まっさかりになりつつある今日この頃。そして、今日はキリスト教の移動祝斎日の復活祭、つまりイースターである。

 私はクリスチャンではないが、キリスト教に親しむ環境にもあって、中学生のころは教会に通っていたこともあった。イースターや収穫感謝の日などは楽しみだったためか、毎年つい今年のイースターはいつごろかなと調べて過ごしていた。だが、そのイースターの日がどうやって決められているのかは、最近になって知った。イースターは、春分の日が過ぎたあとの満月の日の次にやってくる日曜日なのだそうだ。

 今年は、20日春分の日。そして昨日が満月。そして今日が日曜日。それで今日がイースターとなっている。例年になくかなり最速でイースターがやってきた。ちなみに去年が4月8日。来年は4月12日である。そして、イースターが早くやってきた年は、春が早いと言われているらしい。

 旧暦から見ても、今年は2月7日から5月4日までが春。去年の春は2月18日から5月16日だったから、若干季節が繰り上がってくるのかと予想しつつ暮らしていたが、イースターにまつわる季節感もそうだとすると、ますます季節が早めに巡ってくるように思えてくる。

 つい一週間前に私がかかわる田んぼでは種まきが行われた。苗箱に土を入れて、種もみを蒔く。その上にまた土をかける。それをハウスもないので露地で育てているが、なんとすでに芽を出し始めているという。一週間で発芽というのは、これまた最速ぐらい順調。なにせ、蒔いたタイミングにも因るが、苦労した年は1か月近くかかってしまったのだから。春眠・・・なんて暢気なことを言っていたら、待ちわびていた春を見逃してしまうようなことになるのかも。今、この季節を楽しもう。

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   玄関のチェストに飾ったイースターの卵たち

2008/3/22  10:52

甘夏のピール レシピ編  

 次は果肉たっぷりのマーマレードに続いて、甘夏のピール。甘夏3個があったなら・・
それを余すことなく使って、皮2個分はピールに。皮1個分と3個分の果肉でマーマレードを作りましょう、というレシピです。前回の記事に引き続き。


 ★甘夏のピール★

 《材 料》
 甘夏の皮2個分・・・きれいに洗った甘夏の皮を6等分にしてむく
           それを5ミリから7ミリくらいの太さに刻む


 シロップ     グラニュー糖200グラム
          水    カップ1(200cc) 
 
 《作り方》

 @ 刻んだ皮を鍋に入れ、ひたひたの水を入れて茹でる。1度目はあまり長時間茹でない。皮のわたの所が透きとおってきたらざるにあける。
 このとき、ピールは水洗いしない。1度目は鍋肌に汚れが付着するので、鍋は一旦きれいに洗う。(1度目にあまり茹ですぎないのはそのため)

 A 再度皮とひたひたの水でしばらく茹でてざるにあける。その時、味をみて、ぴりっとした感じを残すかしっかり取り去るか好みでもう1度茹でるかどうか決める。
その時の皮にもよるが、私はたいてい初めのさっと茹でを含めて2度茹でる。

 B あとはシロップづくり。分量のグラニュー糖と水を鍋に入れて、5分くらい弱火で煮詰める。スプーンで水を少量落とすと、もわっとした模様ができるぐらい。ここで煮詰め足りないと、水っぽくなってしまう。もちろん煮詰め過ぎるとガリガリになったり、カラメルになったりする・・・(T_T)

 C できたシロップに茹であげたピールをいれて汁がなくなるまで煮る

※ このシロップの分量は甘夏の皮3個分で作るときでも十分な量なので、適量で作りたい場合は、150ccの水の150グラムのグラニュー糖でもよい。ただ、ピールを煮詰めている段階で、多めなシロップをスプーンで別の器に取り置くと、違った使い方が楽しめる。

   ☆オレンジの香りが移ったシロップの私流使い方☆
  アールグレーか、アイスティーブレンドの紅茶をおいしく入れて、ガムシロップとして使う。ホットでもアイスでも。ほんのりオレンジの香りの甘みは、ベルガモットの風味のアールグレーにぴったり・・・ほっとしますよ。

マーマレードもピールも、試行錯誤のうちに覚えやすいシンプルなレシピにしてきたつもり。今でも発展途上ではありますが。これを元にそれぞれの家庭のマーマレードとピールが気軽にできますように。

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できあがるのはこのぐらいの分量
 左がピール。鍋の中がマーマレード。

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