2008/5/16  23:37

ペルソナ  分類なし

皆誰もがいくつもの人格を演じてる

ペルソナ。

仮面劇のように、どれも本物で
どれも偽物。

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ただね...
そのどれも必要な役---なんだよね....きっと。

2008/5/16  23:30

震度  分類なし

中国地震災害で苦しみの中にいる人々。
悲しみ、切なさ、どうしようもない現実。

中国という大地が揺れている。

大地の下も揺れた。
この地球は熱い血のようなマグマの塊。

人がやったこと、してきたこと
そんなことを嘲笑するかのように。

地球もまた呼吸し、

感情を吐露するように、訴えかける。
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2008/4/18  19:28

あやとり  travel


あやとりで伝える

一本のひもを輪にしてすくってまた離して。相手がいれば二人で順番に取りあったり…。

幼い頃誰もが一度はあやとりに夢中になった経験があるはずです。

たった1本の紐。
なのにそこから無限に話が現れ、終わればただの紐にもどる。

とどめることができない形に想像を膨らませるあやとりは日本だけでなく世界各地の、とりわけ太平洋の島々に広く伝わるものだと知りました。

絶海の孤島、イースター島で綾取りダンスを見たとき、こんな遠くでなつかしいものに出会った不思議な心地がしたものです。

女性が、軽快な唄とダンスを交えてあやとりを自在に変化させてゆきます。
歌詞は、イースター島へカヌーでたどりついた勇敢な祖先たちの物語です。

実はイースター島の人々は、ハワイやニュージーランドの先住民たちと同じポリネシア人です。
ポリネシア人の原郷はアジアですが、島々へわたった人々は文字を持ちませんでした。
(イースター島はかつてラパヌイと呼ばれ、ロンゴロンゴ文字という象形文字が発見されましたが、未だ解読されていません)

人が生きてゆくうえで大切な事柄は、唄や踊りといった芸能、口伝えの物語という形で伝わっていったのです。

あやとりは遊びであり、歴史学習でもあったわけです。

権力の象徴と言われるモアイ像が何故どのように創られたか、たとえその理由は忘れ去られたとしても、暮しに必要な知恵と、生きてきた誇りだけは人々のあいだで永く伝えられていました。

紐、ひも、ヒモ......
そういえば、
DNAもヒモ状でした。

2008/3/2  1:28

春花の南房総、観光ちらしずし!  Minami Boso

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「南房総 花の風が吹く半島」

 風が頬に心地良いと感じるのは、冴え冴えとした青い海があまりにも眩しいからでしょうか。
東京で空っ風に吹かれ、コートの襟もとをきゅっと締めたままあわててバスに乗り込んだのはつい1時間前。
東京湾の海底を通じ房総半島に繋がるアクアラインを抜ければ、太陽の光が薄皮を一枚剥いだようにあでやかに変わっているのに気がつきます。
そして、木更津から徐々に南下するにつれ、窓の外の柴犬の背中のような色をした日向枯れの風景の中に、少しづつ緑の量が増える。

房総半島をもっと南へ、南へ….。

断崖絶壁が立ちはだかる鋸山のトンネルを抜ければ、そこはもう春。
かつての安房の国、南房総の入り口です。

「昔ね、四国の阿波から忌部氏という一族が黒潮に乗ってこの地に上陸したんだよお。ああ、そのあとも紀伊半島やら伊勢からここにやって来た人が俺たちの祖先だっぺ」
漁師さんたちは板子一枚下は地獄といって、人の命をたやすく奪う海という存在から人々の糧を得るのが仕事。どこか潔さがある一方でとても温かい人が多いのです。
おしゃべりの時の声も、船の上で一刻を争う仕事のせいかかなり大きい。そんな大らかで威勢のいい人々の気質はどこか南方的に思えます。

海の中にもはるか黒潮に乗ってやっていたコバルトブルーの熱帯魚たちが泳いでいます。
東京湾の南はなんと珊瑚の北限という土地柄。
熱帯魚たちは、夏に黒潮に乗って南からやって来ては水温が下がる冬を越せずに海に帰す「死滅回遊魚」という縁起の悪い名で呼ばれています。
でも、温暖なこの地の入り江の片隅には、その輩たちが越冬しているという噂も…..。

どうやら私自身、その魚ではありませんがこの地に流れ着いたらしいのです。
そして、はたと気づいたら、ここに暮しはじめてもう9度目の春になりました。まるで浦島太郎のようですね。
季節ごとに違う顔を見せる自然に驚いているうちにあっという間に月日は経ってしまったのです。

メガポリス東京のすぐ脇にありながら、海に囲まれた大きなひとかたまりの房総半島は、アフリカ大陸の縮小版のような型にも見えます。土着的な匂いが残るなおおらかさは、同じ半島でありながら三浦半島や湘南と違い、ネイティブ度の高さ。日々大地の手入れをし、お天道様と土と、青い海の恵みを頂いて暮らす土地、それが南房総。地に足のついたこの豊かさを、訪れた人々ともっと共有できれば嬉しい、と思うこのごろ。


「お花畑」
東京から1時間半あまり、南房総の日々はうららかな南国時間がたゆたっています。
たぶん、南房総へ降り立った瞬間感じることは、すごく遠くへ来たような、アウエイな気分になることでしょう。その遠さに安堵を感じるか、もしくははたと不安を覚えるか、それは様々。でも旅とは異質な時空へ移動すること。ということは東京の隣の県である安心感と、異文化感を味わえるということでかなり高得点の旅だと言えるでしょう。

さて、そんな南房総の魅力を一言で、と問われ、思いつく言葉はひとこと。
「ちらし寿司」みたいなところとでも表現したい。
ちらし寿司といえば、春の節句や子どもの頃のお誕生日会に欠く事ができないあれです。
黄色の錦糸卵にピンクのでんぷ。白くつややかなすし飯に混ざったいく種もの具が箸を運ぶたびに違うブレンドで口の中で味わえます。すし飯の爽やかさとほの甘い後味。女性なら老若かかわらずに好きなのはなぜでしょう。寿司職人が作った研ぎすまされた握りにも感動の味がありますが、ちらし寿司にはまた別の、母の手のぬくもりが感じられるような和みの味わいがあります。具を調理した匂いが残る家の中で、でもちょっと花でも活けてちらし寿司をいただく時のほっと和む瞬間。南房総の春の日には、そんな日常の美があるのです。黒潮の流れに洗われている半島の風は、どこにいても柔らかな湿り気を帯び、きーんと乾いた風ではありません。いち年中が常春とでもいうような、冬は温暖、夏は海の冷却作用によってほどほどの暑さ。うららかなお日様が錦糸卵のように降り注いでいるのです。

南房総には、世界遺産とか、どこかの国を模したテーマパークといった景勝地はありません。
もちろん、そういう場所はそれなりに選考され指定されるだけの価値のある場所です。

が、そこにはたいがい大勢の人々が押し寄せていて、「ああ、ここテレビに出てたところ!」とかもうすでに映像で見ているのではじめて行った場所にもかかわらず、既視感があったりするのでした。
私にとってこんな旅が強く心に残っています。
それは、自分で発見する喜びが多かった旅です。
なんの前触れもなく突然開けた場所へ出て、そこで出会った夕日が大きかったこと。
もしくは、思いも寄らず道を訪ねた地元の人が親切だったりして、その一日を一緒に過ごす事になっりと…。
期待していなかった風景や人に出会った思い出は、たとえその風景や人にブランド名がなくても、空気感や色や匂いが、高揚した気分とともに鮮明に蘇ってきます。

南房総の魅力というのは、ちらし寿司のひと箸ごとの味わいの中に、期待もしていなかった具の組み合わせが入っていたりするときの喜びに似ているのかもしれません。
 
外房の太平洋側から内房の海まで車を走らせて約40分。もしくはのんびり各駅停車の電車に乗り込んでの旅もおすすめです。猫の額のような畑には農作業の一息を入れているおばあちゃんたちが背負い籠下ろして太陽に暖められた土のうえでおしゃべりしていたり、どこかアジアの遠い国に迷い込んだよう。
また10分車で走ると、青くきらめく館山湾のむこうに富士山がくっきりとあってびっくりしたり。
そしてまた10分後には色とりどりのポピーが風に揺れ、風もこころなしか香ってきます。

「ここはいったいどこ?」
と変わる景色に脳をシャッフルされる感じです。
お腹が空けば、やはり海の幸。ちょっとご飯が多めのしっかりした握り寿司や、夏に捕れた鯨も名物。
え?東京のとなりで今も鯨を捕っているって、知らない人も多いと思います。夏に回遊してくるツチクジラという種類の鯨を和田浦の港で小さな船2艘で限られた頭数だけ捕獲、解体し、地元の方々の故郷の味として親しまれているのです。ネイティブ度が高いこんな食文化もここならではのもの。

さて、お花畑に目を移せば、春の花売り娘ならぬお母さんたちがいます。
「この花たちはね、夏の終わりに稲狩り終わった田んぼに苗を育てて植えるんですよー。夏から花の苗育てて準備ですよお。だからきれいに咲いてくれると嬉しいねえ」
房州のお母さんたちは働き者です。
以前、東京の電車の中で行き会ったことがある、重い背負い籠に野菜や干物を詰めていた行商のおばちゃんたちを思い出します。わたしの朝の通学時間に出会うということは、おばさんたちは世も明けていない時間に準備をして家を出てくるという事なのだなあ、と漠然と思っていたあの頃。
あのおばさんたちは、一年を稲作と花と、小さな畑の手入れをしながら漁師のお父さんを支えて暮らしていたのでした。そうして守り、作り続けられてきた可愛い景色たち。

大規模農家が作った工場のような畑とは違う、まさに母の手作りのちらし寿司のような味わいのある景色。その趣きが南房総の大きな魅力になっているのです。
かつて江戸の台所として幕府の食物を産出していた温暖な土地。
海の幸、山の幸、ぽこぽこした低い山々には夏みかんがたわわに実っています。
 
西の東京湾が夕日で金色に染まる頃、東の水平線からまんまるに大きな満月が昇ってきます。
海は月に照らされ、群青の中に一筋の白い光が道のように水平線から浜辺まで続いています。

鯨の潮吹きが見えたような、イルカがジャンプしたような。

すぐそこに在るこの海の中には、日々懸命に生きている野性の生き物たちも暮らしています。
星降る夜の、この暗さも南房総の味わいのひとつ。日本という国や地球すら越えて、宇宙と繋がっている実感が天から降り注いでくるようです。

「ここは、どこ?」
「ここは地球という星のうえ」
身近なものから宇宙まで、南房総の魅力は、多種多様なお花畑のように、もしくは星空の名も無き小さな星のきらめきのような味わいなのでした。**







2008/2/13  15:50

凍てつくアラスカ  travel

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マイナス40度の夜空にオーロラが音も無く舞った。

はじめてのアラスカ。
南方系を称する私が凍てつく大地へ旅をした。
北のそれも極限の寒さのこの時期。
でも、人間の適応力の凄さには我ながら驚く。
はじめてフェアバンクスの空港を出て息を吸ったときには、おそるおそる..。
それから内陸のチェナ温泉へ。
鴨も温泉に入る。飛びながら瞬間冷凍にならなければいいが...
露天風呂は心地よい温度でも顔から上の湯気は瞬く間に凍って樹氷状態。
でも平気になる。
熊も冬眠しているんだ。
バイソンやムースもいるんだ。永久凍土にはマンモスも眠ってる。
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Alaskaの先住民もすっとここに暮らしてきたんだ。
フェアバンクスの土産物店でエスキモーの人が作ったトナカイの毛でできたパフィンの人形を買う。

ちょうど店にやってきた彫刻家もエスキモーの村で生まれたという人だった。
興味しんしんで立ち話...
「オーロラは僕らはタクタクと呼ぶ。幼いころオーロラがでると、
外で遊んではいけないと言われたよ。オーロラは妖精のシッポで、彼らは子どもの首を刈って天上でサッカーを楽しむんだよ、と脅かされたもんだ。だから怖かったね(笑)」

そう、不可思議な光の動きは本来不気味で恐れるべきもの。
うーん、日本人のオーロラ好きは世界でもめずらしいらしい。
実際、肉眼で見ると、はかない光で写真でカクニンして
「あれがやっぱりオーロラだったんだ〜!」
という始末。
英語のノーザンライツ(北の明かり)という言い方がどちらかというとふさわしいと思った。
オーロラ、オーロラ。美しい響きである。
まだ会えぬ恋人に想いを馳せるバーチャル恋愛みたいにオーロラを見たい日本人は後をたたない。

八百万の神々=自然信仰は、どんなハイテク時代になってもわたしたちの心に生き続けている。
それよりも、オーロラ見物はどこかお花見感覚に似ているのかもしれない。

2008/1/31  23:40

いただきます  My works

 いただきます。
食べるまえに言う言葉。その言葉の意味は「あなたの命を私の命の糧として頂戴します」ということ。
命が別の命に移る、もしくは写る、転写されるということ。
そう考えると、自分の体に転写されるものがいったい、どんなものなのかかなり真剣にするべき行動なのだ。

昨日、わたしは東京で「いのちの食べ方」という映画を見ました。
そしてちょうどその頃、偶然ですがテレビでは「中国製の毒入り餃子」事件で全国各地に波紋が広がっていました。

「いのちの食べ方」はドイツ人スタッフによって撮影編集されたドキュメンタリー映像です。
テロップもナレーションも無し。淡々と映像が流れます。
英語のタイトルが
「Our Daily Bread=我々の日々の糧」というわけです。

まさに淡々とした日常に欠かす事ができない食。

本当は命をささえてくれているのは「金」そのものではなく、食べ物。
(お金は食べられないですね。もし、食べられるお金があったら面白いですね、チョコのコインみたいな)
映像は、機械化されたトマト畑や養豚場や牛、鶏は生き物としての歓声をすべて奪われ、コントロールされた中で育ち、工場で車のパーツを作るように、いや、それ以上に無表情に解体されて分別されて、あれよあれよと大量消費の人々の手へ渡り、そして余ったら無感情に捨てられているのですね。

そういえば、英語では、動物肉の呼び方はそれぞれ生き物とは別にありますね。
COW=ビーフ、PIG=ポークとか….。古くから別物として認識してた。

さて、その映画の中では、たとえば屠殺場で働いている人のランチなど、
食べるシーンがこれまた淡々と据え付けられたカメラが写しています。
どの人も粗食でした。
毎日、来る日も来る日も豚の足ばかり切る作業を続けている人は、
小さなパン一切れとコーヒーがランチでした。
表情が「人生に疲れた」「喜びを忘れた」ような顔して食べてる。

まあ、わたしもひとり仕事中に済ませるランチは本当にそそくさと早食いですが、
作るのはちゃんとやります。

多分、普通の人間ならば、ひよこを分別するのに1秒に2羽の早さでマークして、企画以外のひよこはポアしちゃう、ということや、雄の子豚のナニをハサミでちょん切るのを一日100頭以上もやっていたら、
「これは仕事なんだから!」と感情を麻痺させなくてはいられないことでしょう。
「だからなんなのさ〜」みたいに。食べてるときもそんなモード。

わたしはベジタリアンではないし、カツ丼も好きです。
それにオセアニアにいれば子豚が走り回ってて、日曜にはその子たちを食べたりします。
その子豚ちゃんたちは、人工授精ではなく、ちゃんと満月の夜に恋をして産まれた子たち。
命を絶たれる直前まで、海に畑に遊び回り、あるものは名前まで付けられてかわいがられ、
命を謳歌していた豚さんたち。
その命を移します。

似非動物愛護者は言います。
「まあ、残酷な!野蛮な!可哀想」と…..
でも、いただきます。は命の移し替え。
個体の一生をわかったうえで、故豚を忍びつついただく味はたったひときれでも滋養満点なのでした。

さあ、何をどう食べるか、は=どう生きるかの基本、とつきつけられているようですね。
あたりまえのことを見直す時代になりそうです。
チャップリンのモダンタイムズ以来、爆走してきてしまった歯車はどうしようもないのでしょうか?
まさに食にいたるまで....
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生まれたばかりの子牛に寒さをしのぐために服を着せている。酪農家は牛を慈しんで育ててます。


2008/1/22  22:58

tubaki&スカッシュ!  photogragh

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椿、冬寒に咲く

南房総でも暦の大寒には雪が降りました。
そうだった!冬はいつもこんなに寒かったと今年の温暖化を実感。
年明けて、あっという間に20日がすぎました。

最新の体験からひとつ。内房の保田にサンセットブリーズ保田http://sunsetbreeze-hota.com/
というスポーツリゾートができました。  そこでスカッシュを体験したこと。
というより、腕前は初心者ですが20年前にちょっと体験したことがあり、
そのときには感じなかった事を感じたことを書きます。

スカッシュは室内の箱のようなコートの中でかなり激しく同じ壁に向かって2人でマッチします。
テニスは向き合って、顔を見ながらの試合ですが、スカッシュは同じ壁に向かっているので相手は隣。
テニスを「相手と対峙」という言葉とすれば、スカッシュは隣席の友かライバル。
同じ壁=目的にどう相手を動かすか、と対人関係のあり方などにも比喩できます。
そして、相手の動きを瞬時に読んで瞬時に返すという反射神経。
英国生まれのスポーツなので騎士道的なフェアの中でのいじわるさ(笑)
そしてウイットに富んだ感覚で、あくまで軽やか。

「打った後すぐに自分のポジションに戻る!」
「インパクト以外をいかにリラックスするか」
「同じ壁に打ちながら、相手が打つときもボールから目を離さないで」
これら、コーチのお言葉集。
それを自分なりに解釈すると、=自分を見失わないであり、
=最大の力を一番大切な時にだけ使う、であり、
=相手あっての自分
などなど、いろんな事に置き換えられたりして....
う〜ん深いなあ〜。

コーチやスタッフの方々、そしてもちろんオーナーの方、スカッシュの腕が超一流であるだけでなく
爽やかで素敵な方たちばかり。
人間もスカッと爽やかに磨かれた、スポーツを通して人が出来るというのが頷けました

クリックすると元のサイズで表示しますコーチの西尾さんと梶さん

2008/1/5  22:16

ね の年  分類なし

2008年が開けました。本年もよろしくお願い申し上げます。

今年は「ね」の年。ネズミで、「子」と書き、ねと読む。わたしは干支の年女。
12年のひと巡りの新しいスタート。
さて、どんな一年になるでしょう?
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年越しは、毎年恒例、新潟県の三条市、下田の雪の中。変わり種友人と3人で過ごしました。
大晦日から降り続いた雪で山の家はすっぽりと世の中と隔絶状態となりました。
電話線も雪の重みで折れた杉枝で切断されていたのですが、山の水をひき、山の木で暖をとる暮らしには何の支障も無く、不便を感じなかったので、まったく気づかず5日もたっていました。
端から見ると厳しい自然暮らしでも、恵みを活かす知恵さえあれば豊かな気持ちでいられるということなのでした。
さて、お正月の新潟といえば旨いもの宝庫!恒例ののっぺい汁を作り、見附の分厚いあぶらげやコクのある豆腐、石碓で仲間と餅をつき(カメラマンは女でも餅つき上手!)ほかほかのつきたて餅をあんこ、きな粉、大根下ろし、とぱくぱく!エンドレス^^
ローカルな一品では、冬に備えて漬けた菜っ葉を酒粕と打ち豆とで煮たその名もダイレクトな「煮菜」など、旨いもの+酒づくしの日々にカロリーが気になるけれど、雪かきやかまくら作りで消費。
わたしの中にある新潟DNAがむくむくと元気になった正月でした。

2007/12/9  22:41

フィジーから岩見銀山へ  travel

写真を撮影する者は自分の身とカメラを持って現地へ赴くことがまず当然です。ときとして、南半球のフィジーから島根の岩見銀山まで、いやおうなく移動することにもあります。
そうしているうちに地球上には同じ時間が流れているようで実はまったく種類や質の違う時が流れている、ということを実感できます。ここもあそこもそれぞれに興味深い!
もちろん旅の最中にはその地の水を飲み、食事をします。その行為自体がたとえ一時でもその土地と同化するということ。そして今回、両方の旅で強く実感したことがあります。
それは歴史という過去に封印された人々の痕跡を撮影する行為を通して、古の人々ともコミュニケーションができる喜びでした。
フィジーではオバラウ島にあるレブカという古い街で、1800年代に生きた人々から繋がっている「今」を感じました。
そして岩見銀山でも、ひと堀ひと堀、山をいたわるように銀を集め、小さな港から世界へ送り出した人々と繋がる「今の日本」を感じました。
どちらもよき旅でした。 いや、こう感じるようになったのも自分自身の時を重ねてきたからなのかもしれません。
また、記事が出る頃にブログにてお知らせします。
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2007/11/24  6:04

タヒチの旅  My works

タヒチへの久々の旅でした。
10年前には考古学者の篠遠先生の遺跡発掘に同行しつつの滞在でしたが今回はまさにツアー。
熟年カップルのタヒチ紀行というテーマで小学館「駱駝」の撮影でした。
タヒチといえば地上の楽園代表格。太平洋好きの自分にとってはあまりに当たり前すぎることと思っていたのですが、「とらや」の羊羹が上等で美味しいということを否定できないのと同じく、つくづくタヒチは正当に美しい〜、と感動しました。ここは地球上ここしかない。宇宙からみた映像でもタヒチは光輝いているんですね。
そんなタヒチの魅力はもちろん新婚旅行という人生最大のラブ旅の舞台にうってつけということは言うまでもありませんが、若い時分は景色よりもお互いの顔を見つめ合っているほうが多いのではないでしょうか?
熟年カップルとくれば、人生の甘い辛いを経て、各地を旅し、吟味した方々。そんな方にこそタヒチがなぜ高いか(実際にほんと、すべて高くつく)が解り、美しさを味わえるのではないかと思いました。海の青さはどこかペールトーンのグラデーションで、山を見れば火山が創成した彫刻。街のけだるさやマルシエの活気よし、もちろんフランス領なので味はよし。フレンチポリネシアの色彩感覚はさすが、ゴーガンやマティスを魅了しただけあるんですね。久々、ポリネシアの東風に吹かれて心のふるさとに還った気分でした。
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