Maya Gallery ( Art & Illustration )

2008/3/8  1:29

『或るひとつの物語』  ☆『或る日々の物語』

これはいつものような日記ではありません。
私が先日、遠いところで拾った、ひとつの物語です。
拾ったあとに、これを箱にしまっておこうか悩みましたが、
物語の光が消えなかったので、ここに残すことにしました。

写真は物語のイメージであり、登場人物も架空のものです。
でも、私にとっての真実は、この物語の中に存在しています。
このことは、私の心に実在する事実だと思っていて下さい。


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『Here Comes The Sun』


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(0)はじめに

 しばらく、音信不通にしてしまって申し訳ありませんでした。
 
 今から私がお話しすることは、どこかで聞いたような話かもしれません。
 また、特別珍しい出来事でも何でもありません。
 でも、何だか少し長い話になりそうです。
 うまく語れないところもたくさんあるかと思いますが、
 今、思いつく限りの言葉を集めて、お話しするつもりでいます。

 私は公園で”先生”に出会いました。
 ”先生”は猫を飼っていて、猫には名前がありませんでした。
 ”先生”には名前がありましたが、
 私はずっと”先生”と呼んでいたので、
 これからお話しする中でも、
 ”先生”のことは”先生”と呼んで、語ることにします。





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(1)銀色の猫とリトル・スター

 不思議なことがあるものだな、と私は思った。


 高校2年が終わろうとしている3月のこと。
 終業式が終わって、帰りに立ち寄った公園のベンチに座って
 雲ひとつない空を眺めていました。
 まだ寒さが残るけれども、風景には春の訪れが見え始めている、
 この季節の空が好きでした。

 制服のスカートに花びらが付いている・・・もう桜が咲いたのかな、と思いながら
 花びらをふと見ると、それは美術の授業中にうっかりつけてしまった絵の具でした。
 それは乾いてしまうと、落ちない絵の具でした。

 その日私は、高校に入学してから少しでも絵が上達するようにと、
 特に苦手意識があった人物を描き続けてきたクロッキー帳を持っていて、
 初めから終わりまでを往復してめくっていました。
 しかし、あらためて見直してみても、
 それらはまるで人形のようにぎこちないものばかりでした。
 近いうちに提出しなければならない進路希望調査用紙には、
 美術系大学志望、と書けずにいて、私はひとつため息を付きました。

 そのとき、公園の植え込みの中からチリンという鈴の音が聞こえました。
 そこにいたのは一匹の猫でした。
 猫は銀色の毛並みを持ち、銀色の首輪をつけ、
 その首輪には小さな鈴がついており、動くたびに、
 チリン、チリン、と軽やかな音を鳴らしていました。
 近づいてきた猫をスケッチしてみよう、と思いましたが、
 猫はあまりじっと一箇所にしていません。
 「そういえば、かばんの中にお昼に食べようと思って持っていたおにぎりがあった」
 私はそのことを思い出して、
 コンビニのおかかのおにぎりを半分に割り、片方を猫に差し出してみました。
 猫は初め、手の先でつついて警戒していたものの、すぐにかぶりつき食べ始めました。

 すると、どこからともなくはっきりとした口調で
 「まだまだ、だね」と言う声が聞こえました。
 私の背後で聞こえた声の主は、20代後半くらいの見知らぬ背の高い人でした。

 「その人物のクロッキー、君が描いたの?」
 「はい、そうですけど・・・」

 「何だか、同じ型から出てきたロボットみたいじゃない?」

 いきなりのひとことに少しむっとして動揺しながらも、
 心のどこかで、私は
 「その言葉が的の中心を見事に射抜いた矢のようである」と思えていました。
 それはひとつの衝撃でした。
 私はスケッチブックを眺めながら言いました。
 「・・・やっぱり、そう思いますか?」

 その人は私の問いかけの答えになっているのかいないのか
 よくわからないことを、空を眺めながら呟いていました。
 「人の形は、人の数だけあるんじゃないかな・・・」

 ふと足元を見ると、猫の姿はいつの間にか消えていて、
 おかかのおにぎりもすっかり無くなっていました。

 「スケッチしようと思っていた銀色の猫、いなくなっちゃいました」
 「銀色の猫? ああ、それね、僕が飼っている猫だよ。
  最近拾ったばかりの猫で、名前は無いけれど。
  公園がお気に入りみたいで、ちょっと家で見かけないなと思って探すと、
  しょっちゅうここの公園で見つかるんだ」

 私が、絵のことに詳しいみたいですけれど美術の先生なんですか、と訊ねると、
 その人は、美術の教員免許状を持ってはいるけど、
 今は教職に就いている訳ではなく美大の院生なのだ、と答えました。

 美大、と聞いて私は思わず、反射的に言葉が出ていました。
 「私、美大を受験しようと思っているんです! 絵のことを教えて下さい」
 美大の院生は急に困ったような表情をしました。
 「受験のことは予備校の先生に教えてもらったほうがいいよ。
  それに僕が教えられることなんて・・・」

 「さっき、まだまだだね、と言っていたじゃありませんか」
 「うん・・・まあ、そうなんだけど」

 私はそのとき、どうしても初めの的確な指摘のことが印象に残っていて、
 この人なら私の絵にきちんとしたアドバイスをしてくれる、
 そういう思いがあったのです。
 今思うと、ずいぶん厚かましいお願いをしてしまったと思いますが、
 そのときは、絵がうまく描けるようになりたいと必死でした。
 その美大の院生に
 「これから公園に来るときは猫のごはんを持ってくるから
 絵のことを教えて下さい」と頼みこむと、
 困った顔をしながらも了承してくれました。

 「あまり他人になつかないあの猫が君の事気に入っているみたいだから・・・まあ、いいかな」
 「どうかこれからよろしくお願いします、”先生”」

 「わかったけど・・・とにかく、君は予備校にも行ったほうがいいよ・・・!」
 ”先生”は青い自転車に乗って、公園を走り去ってゆきました。


 これが私が”先生”と出会った日のことです。





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(1)見えるもの

  「先生、眼に見えないものは忘れやすいから大切に、と言われることがありますが、
 眼に見えているあたりまえのようになってしまったことのなかにも
 大切なことがありますよね。
 "見える""見る"ということが、自分の心で何かを選び取ることだとしたら
 いろいろなものを見ることは必要だな、と思うんです」



 私は昔から絵を描くのが好きでした。
 でも、ただ本当に絵を描くということが好き、というだけではなく、
 現実の不安定な日常生活において、
 自分の居場所はそこにある、という思いもあったのでした。
 傍から見てどんなに平穏に見える人の日常にも、
 不安定な日常というのが何処かには存在するものでしょう。
 私の日常も、例外ではありませんでした。
 美術の道を志すこと。進路を考えるにあたって、それはいつしか確信に近いものとなり、
 私は美大を受験してみようと思いました。

 しかし、私が思っていた以上に美大の受験は厳しいものでした。
 予備校の見学に行って、作品を見てもらうと、予備校の先生は開口一番こう言いました。
 「このままでは、はっきり言って、受からないからね」

 今まで自分の絵を受験のものさしで見たことがなかった私は、
 まるで違う国に来てしまったような感覚を覚えました。
 「きついこと言ったけど、これは今受験しようと思って
 アトリエに来ている現役生たちほとんど全員のレベルがそうなんです。
 でも、あなたが本気でこの道に進みたいと願うなら来て下さい。
 一緒に頑張りましょう。待っています。」
 予備校の先生は、私に本当のスタートラインを示してくれたのかもしれません。
 
 私はそれまで塾などに通うことがなかったのもあって、
 予備校に通うことにはかなり抵抗があったのですが、
 誰にも絵を教わることなく受かるということなど考えられない、という状況を痛感したのです。
 自分の心にあった庭はとても狭く、
 また、そこにはまだ何の花も咲いていない、ということを強く実感しました。
 これからたくさんのことを学ばねばならない、という予感がしたのです。

 公園には”先生”が居ました。
 「今日はどうだった?」
 「予備校の見学に行ってきたんですけれど・・・このままじゃ全然駄目だって、言われました」
 「そう。君はその言葉をどう思った?」
 「・・・正直言うと、ショックでした。でも、私がやるべきことは
  道になって見えてきたような気がします」
 「君がこのままでいるつもりがないなら駄目なんかじゃないんだよ」
 「私、予備校で一から学んでみようと思います」

 そのときから私の予備校通いが始まったのでした。
 高校3年の春半ばのこと。通例からすると少し遅いスタートだったようです。





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(2)風

 「大胆かつ繊細に。これは基本です」と”先生”は言った。


 初めての予備校。初めての石膏デッサン。
 周りを見渡すと、みんな鉛筆を何十本と揃えているのがすぐに目に付きました。
 6Bから8Hぐらいまで、普段は全く使わないようなナンバーのものがあったのも驚きました。
 私は10本にも満たない自分の手持ちの鉛筆に焦りを感じて、
 すぐに近くの画材屋でたくさんの鉛筆を購入しました。

 予備校のアトリエに戻ると、大半の人は慣れた手つきで鉛筆を動かしています。
 どうやら大半の人はもうすでに早くから予備校に通い始めていたり、
 春期講習に参加していたようだったらしく、どんどん描き進めているのでした。
 私はたくさん購入した新しい鉛筆を削るのにも手間取っていました。

 アトリエ内に響く、みんなの鉛筆が画用紙の上を走るサラサラという音に焦りは倍になり、
 私はひとり、廊下に出て鉛筆を削っていました。

 そんなとき、横から私の持っていた鉛筆を手にとった何者かがいました。
 振り向くとそこには講師の先生・・・ではなく、公園で出会った”先生”がいたのです。

 ”先生”はカッターを取り出すと、あっという間に芯の部分がやたら長い、
 鋭く尖った鉛筆を作り上げました。
 「絵を描くときには、いろいろなタッチが出せるように、芯の部分はこうして長く削っておくんだ。
 こんな細い鉛筆からでも、様々な使い方が引きだせるんだよ」
 あっけにとられていた私をよそに、削った鉛筆を私に手渡して、”先生”は言いました。
 
 「こういうことに時間をかけていないで、早くたくさん絵を描いてうまくならないとね」
 
 「そろそろ戻らないと」
 ”先生”はひとりごとのようにそう言って、出口からすぐの路地裏に消えてゆきました。

 遠くで、チリンと鈴の音が聞こえたような気がしました。

 あっという間の出来事でした。





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(3)夕暮れに「おはよう」

 「驚きは、喜びだったのです」


 「”智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
 意地を通せば窮屈だ。兎角に人の世は住みにくい”・・・か」
 私は、夏目漱石の『草枕』の冒頭を心の中で読みながら、
 学校から予備校に向かう電車で、窓の外に流れている風景を見ていました。
  
 高校の授業が終わったあと、予備校の夜間部に通うようになった頃のことです。
 既に予備校慣れしていて受験対策用の分厚いファイルを作っている他校の子に驚かされたり、
 午後5時なのに「おはよう」と言い合う挨拶に馴染めなかったり、
 聞き慣れない用語や使い勝手のわからないたくさんの絵の道具に戸惑い、
 朝の駅前では路上の石につまずいて持っていた道具箱をひっくり返し、
 鉄製の定規では、課題開始早々、右手の親指をスパッと切ってしまう始末で、
 私は様々なことになかなかついていけませんでした。
 しかも公園で”先生”に絵を見てもらいたい、とお願いまでしたのに、
 ”先生”に見せに行こうと思えるような絵が全く描けず、
 あっという間にひと月が過ぎてしまっていたのです。

 そんなある日のこと、モチーフにアジの開きが出され、
 魚の描写に手間取っていた私が、周りのみんなの進み具合に慌てていると、
 チリンという鈴の音が聞こえました。
 銀色の猫が窓辺からこちらを眺めていました。”先生”が飼っている猫でした。
 退屈で逃げ出してきたのかな、それとも、私のあまりの不器用さに
 猫も呆れているのかな・・・なんて思っていると、
 ”先生”の猫は私の予想に反して、私の机の上にあった真新しい白い雑巾の上に飛び乗り、
 おもむろに、モチーフのアジの開きにかぶりついたのです。

 びっくりした私より先に、近くにいた現役生が
 「猫がアジを狙ってるぞ!」と声をあげました。
 いつの間にか、”先生”の猫以外にも見知らぬ猫が何匹も集まっていました。
 ”先生”の猫がニャーとひと鳴きしたその声と同時に、
 窓からたくさんの近所の野良猫たちが集まってきて、アトリエ中を駆け回りました。
 筆洗はひっくり返り、絵の具のパレットを踏みつけた猫の足跡がそこらじゅうに付いたりで、
 みんなで大掃除をしなければいけなくなるという、予定変更の大騒ぎの日となったのです。
 
 帰りに公園に行くと、”先生”はなぜか七輪でアジの開きを焼いていました。

 「君が最近来ないから、あいつお腹が空いちゃったのかもね」と私のほうを向いて言い、
 そのあとに
 「まあ、それは冗談として・・・いろいろと慣れてね、ってこと」と付け加えました。

 翌日、予備校では隣の席の子が
 「昨日、猫にアジの開きを食べられちゃっていたよね。
  私のアジは無事だったから、一緒に見て描こう」と声をかけてくれました。
 その日を境に、私は隣の席の子や他の高校の子たちと少しずつ話をするようになっていました。
 




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(4)デッサン

 「例えば、一見淡々と綴られた言葉の中に、
 同じく淡々としたものしか見つけることが出来なかったら、
 それが、薄っぺらい言葉だからなのだろうか。
 それとも、自分の心に何かが足りないからなのだろうか」



 いつしか私はそんな慣れない日々を通り過ごし、美術用語も少しずつ覚え、
 いろんな画集やデッサンの描き方の本なども読むようになりました。
 でも私は浅い知識だけにとらわれていて、
 次第に自分の絵を冷静に見ることが出来なくなっていました。
 そしてそれに気づかなくなっていました。
 描き方の本のマニュアルに沿って描いたのだから大丈夫なんじゃないか、というような
 何か間違った考えで、不安な自分を安心させようとしていたのです。

 紙の上で鉛筆を走らせていても
 その絵が完成に向かっているという感覚が持てませんでした。
 時間はどれだけあっても足りないように思えたし、また、
 これ以上はもうどのように時間を使って描き進めたらよいのか
 わからないという気もしていました。
 画面も鉛筆を持つ手も、よぎる不安と連動するかのように、
 不気味なほどギラギラと黒光りしていました。

 そうして、石膏デッサンは時間に押されるようにして区切りをつけられ、
 講評では、案の定パッとしない評価をもらってその日は終了。
 うつむき加減で予備校を後にしようとしたそのとき、
 予備校の玄関の前には”先生”がいたのです。

 「・・・本当にこのままでいいと思ってるの?」

 ”先生”はそれだけ言い残して、立ち去ってゆきました。

 もう一度自分の描いたデッサンに目を向けると、
 そのとき私の目に飛び込んできたものは、
 端正な顔をした石膏像とは程遠い、ただ無数に刻まれた黒い線の塊でした。

 公園に行ってはみましたが、そこに”先生”の姿はありませんでした。
 
 帰りがけ、突然、雷と共に大雨が降りました。
 ずぶ濡れになったスケッチブックは、駅まで走る間にずっしりと重くなっていました。




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(5)放課後の出来事

 「条件に沿って時間通りに絵を完成させれば、それでいいのかと、思っていました」


 私はその後、来る日も来る日も課題の絵を描き続けましたが、
 どんなモチーフであっても、何か必然性のない絵しか描けないでいました。
 私は、自分が何を描きたいのかがわからなくなっていました。
 自分の絵に足りないものが何なのか。
 毎日の課題は無意味な徒労の積み重ねのように思えてきてしまっていたのです。
 「このままでいいなんて思ってはいないのに・・・でも、どうしたらいいんだろう」
 あるとき、家に持ち帰って制作する宿題の課題が煮詰まってしまった私は、
 投げやりな気持ちになりかけて、予備校に行かずに公園のベンチに座っていました。
 
 そこに”先生”が現れました。
 「あれ、この時間は予備校に行く時間じゃないの?」

 私は”先生”と目を合わせることが出来ずに俯いたまま言いました。
 「・・・もう、いいんです」

 すると、”先生”は突然、私の腕を思い切りつかんで引っ張り上げ、
 低い声で言いました。
 「早く、予備校に行きなさい」
 
 私が黙っていると、”先生”は今までにない強い口調で
 視線を逸らさずに言ったのです。
 「・・・今すぐ行くんだ!」
 
 私は考える間もなく、荷物を抱えて予備校へと走りました。
 
 時間は何とか間に合いました。
 そして席について何事もなかったように課題の絵を描き始めているとき、
 つかまれた腕が先ほどのことを思い出したかのように痛みました。

 私は、絵の技術を上達させることよりも、もっと大事なことがあることに気が付きました。





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(6)卒業式

 「僕たちは思い出す。私たちは忘れない」という卒業式の答辞の言葉があった。


 そんなこともあって、私は試験に臨むこととなりました。
 高校の卒業式当日は、次の日に試験があったため友達と写真を撮ることもなく早々に下校し、
 試験当日は、考えられる最大の準備をして、覚悟を決めて試験に臨んだつもりでしたが、
 第一志望の大学には一次試験に通ることすら出来ませんでした。
 
 そして、予備校の卒業式には行きませんでした。

 しばらくして、荷物を取りに予備校を訪れると、
 白い壁の一角にポラロイドカメラで撮られた
 みんなの集合写真や記念写真があるのを見つけました。
 講師の先生たちも現役生もみんな嬉しそうに写っているのを見ました。
 誰も居ないアトリエの廊下でのことでした。

 公園では”先生”が待っていました。
 「卒業おめでとう」

 「それが・・・あの・・・」
 私は浪人が決まったことを言おうとして、でも、あとの言葉が続かずに黙っていると、
 ”先生”は「まあ、いいか。細かいことには触れないでおくよ」と言って笑いました。

 行き先が決まらないのに、卒業なんて気分になれない、私が呟くと
 ”先生”は私の肩をポンとたたきました。
 「何言っているの、卒業が始まりなんだから」

 「ここで節目を作る。過去は過去として思い出せるように。
 あとで、戻れない場所に戻ろうとしないためにね」





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(7)決意

 「想像力。僕は何もアートのことだけを言っているんじゃない。
  人への思いやりだとか責任感とか、そういうことにも想像力は欠かせないんだ」と
 ”先生”は言った。



 結果は全滅、となった私は、浪人することになり春期講習に行き始めたのですが、
 その初日に青天の霹靂の事態が訪れました。
 もう無理だと思っていた大学から補欠合格の通知が舞い込んできたのです。
 ギリギリに通知が来たこともあって、入学手続きの締め切りはもう翌日に迫っていました。

 そこは第一志望の大学ではなく、住んでいる町からはかなり遠い場所にある大学でした。
 それよりも自分にとって一番の問題だったのは、
 今の自分に、これで良し、と言える何かを見つけることが出来ていないことでした。

 浪人の覚悟を決めてしまっていた私は、とても悩みました。

 予備校の先生達は、もしも出来ることなら、今のままでは受験に翻弄されているだけだから
 もう一年頑張ってみた方がいい、と励ましてくれました。
 
 当時、離れたところに住んでいた両親にこのことを告げると、
 両親は保証のない行き先に心配し、もう決めてしまってはどうか、と言ってきましたが、
 予備校の先生が電話で話をしてくれて、両親も納得し、応援してくれました。
 同級生は、もう一度頑張ろうよ、と言ってくれました。
 
 公園で”先生”にも報告すると、”先生”はひとこと声をかけてくれたのです。
 「今度は絶対に受かる。それだけの力はあるって思うから、頑張って」
 ”先生”にも背中を押してもらった気がしました。

 私は周りの人たちの応援を受け、思ったのでした。
 「自分の行く先は、自分でしっかりイメージしなければならない」

 



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(8)空白の夏

 「夏は、冒険の季節なんだ」と私は思った。

  
 夏。
 予備校の先生は、受験対策というよりは
 自由にのびのびと描くことをこの季節に教えてくれたように思います。
 私が高いところにある荷物を取ろうとして上から荷物を落としてしまったときに、
 同級生が散らばった荷物を拾ってくれたりしたとか、
 予備校の近くの神社でいろいろな話をしたとか、ときどきアイスを食べたりとか、
 そんなこともいくつかありました。

 7月の終わりに”先生”からは、夏休みには帰省するから9月まではここに来れない、
 夏期講習の成果はあとで見せてもらうよ、と言われていました。
 夏こそ、課題数も増えるからたくさんアドバイスがもらえる、と期待していた私は
 ちょっとがっかりしていました。
 そのうえ”先生”からは「宿題」が出されたのでした。

 「受験生にお願いするのも悪いかなと思うんだけど、
 僕が居ない間、うちの猫、預かってくれないかな?」
 「えっ・・・猫、ですか?」
 「これからすぐに新幹線に乗るんで、あの猫は予備校の前にある
 僕の青い自転車のところにつないでおいたから。
 じゃあ、悪いんだけどこのあとよろしく」
 「ええっ、そんな急に!?」
 「大丈夫、あいつはもともと野良猫だからたくましいんだ。
 ときどきごはんをあげてくれればいいから」

 ずいぶん唐突だなぁと思いながらも、
 銀色の猫はだいぶなついてくれていたし、
 お世話になっている”先生”の役に立てればと思い、
 ”先生”を見送ってから予備校に行きました。

 ”先生”の言っていた通り、予備校の駐輪場の青い自転車のところには
 銀色の猫がいて、私が近づくと鈴の音を鳴らして挨拶してきました。
 猫には名前がまだありませんでした。
 猫、猫、と呼ぶのも呼びにくいので、
 私は預かっている間だけ勝手に、
 ”先生”の銀色の猫のことを「スピカ」と呼ぶことに決めました。

 



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(9)無風の日

 「どうして、の繰り返しだったのは、感動することを忘れていたからだと思う」


 一浪目の夏が明けて秋が近づいてくる頃、私は突然
 さっぱりと絵が描けなくなってしまいました。
 描けないというよりかは、完成にもっていけない、イメージが定まらない、といった感じでした。

 何をどうしたらいいのかわからない。でも、自分の絵が良くない、
 その「良くない」ということだけがわかっている。
 それは本当にもどかしいものでした。

 作品はいつも持ち帰っていた私でしたが、
 だんだん、そんな自分の作品が積み重なってゆくことが、
 自分の行く手を阻んでいるように思えてきたのです。
 そしてあるとき、私は自分の絵を見るのが嫌になって、予備校の裏手のほうで
 パネルに貼り付けていた絵を力いっぱい破きました。

 いつの間にそばに居たのか、”先生”が私の方を見ていました。

 そのときの”先生”は、静かにこう言いました。

 「まあ・・・そういう日もあるよ・・・自分の作品を大事にしすぎても駄目だよね。
 でも、ただ嫌だからって簡単に捨てたりしたら駄目だよ。
 そこから何かが見えてくるまで見つめて、次に何をしたら良いのか考えて、
 それがわかってこそ、たくさん描くことに意味があるんだから」と。

 怒られるとばかり思っていました。
 むしろ、何か注意してくれたらと思ってもいたのです。
 でも、それは単なる甘えだったのです。
 ただ私は目の前の問題から逃げていたに過ぎなかったのです。
 そして、自分が何もわかっていなかったことを知りました。

 ”先生”は帰りがけ、私にこんなことを言いました。
 「夏休み中は、猫の世話をどうもありがとう」

 「あ、そうそう、今日の鮭わかめのおにぎりも美味しいけど、
 やっぱりおかかのおにぎりが好きだな」
 「猫に持っていったごはん、”先生”も食べたんですか?!」
 「いや、その・・・お腹が空いていたから、つい・・・」
 

 ・・・今度はコンビニのじゃなくて、手作りにしよう。
 私はそんなことをふと、思ってみたのでした。





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(10)君の隣には

 ”先生”は言った。
 「メモをたくさん取ってもいいけど、そのメモ、読み返している?」


  
 美術系の予備校には定期的に「コンクール」と呼ばれる模擬試験がありました。
 それは本番の課題を想定して行われ、全員の作品に点数がつけられ、
 総合得点で順位も発表されるというものです。
 私はこういったコンクールでは、それほど良い結果を残せずにいました。
 ようやく普段の課題では良いものが描けるようにはなってきていたのですが、
 順位がつけられることやコンクールの雰囲気の中では、時間ばかりが気になっていました。
 注意事項や要点を綴ったメモは増えるばかりでした。

 私はさらに細かいアドバイスがあればと願ったのですが、
 コンクールのときの作品に限って特に”先生”は何も言いませんでした。
 絵を持っていっても、ただひとこと、
 「君は、わかっているよね」と言うだけでした。

 私は「コンクール」でパッとしなかった自分の絵を見て、
 初めは、必要なことはきちんと成し遂げたつもりなのに、と思っていたのです。
 ところが見つめていると、次第にその絵がひどくつまらないものに思えてきました。

 ようやく気が付いたのでした。

 今までは、たくさんのアドバイスをもらって、
 言われたところを直せばいいと、それだけに必死になっていたのです。
 でも、そうではなくて、
 自分で白い画用紙の上に、何を作りだす必要があるのか、
 何を大切だと思って描こうとしているのか、
 ただ課題に答えるだけではなく、そこに意志がなくてはならなかったのです。

 それから、順位がどうであるかということよりも
 自分がどれだけ持てる力を出せるか、ということが本当に大切であると気付きました。
 確かな実感として、思いました。
 そして、結果はあとからついてくるものなのだと。

 そのときから、自信がなかった私にも
 「これでいいんだ」と思えるものが少しずつ見えてきました。





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(11)イルミネーションが灯る頃

 「光あるところ。それが君の居場所なんだと、僕は思うよ」

 
 ちょうど最後のコンクールとクリスマスが重なり、
 街の華やかさと予備校での盛り上がりムードも重なって、そうして12月は過ぎていきました。
 年が明けると、急にアトリエ内は張り詰めた空気になり、
 試験に向けての調整が始まることとなります。
 少しでも不安なところがあると、
 細かい対策を講師の先生に相談する生徒が増え始める頃です。
 その頃の私は現役生の頃に比べたら、
 だいぶ自分の感覚を信じられるようになっていました。

 そんなある日、私は自分が好きな色をメインに使った絵を描いていました。
 絵の具を乾かそうと、予備校の裏手で絵を壁に立てかけていると、
 ”先生”が私の隣に来て、何度かひとりで頷きながら、
 しばらく私の絵を眺めていました。

 「それ、いいね、完成したら見せてよ」
 それは”先生”の今までにない言葉でした。

 私はとても嬉しくなって、予備校での講評が終わったら
 真っ先に”先生”に絵を見せようと思いました。

 そのときの絵は久々の快作となりました。
 予備校で参考作品として保管されることも決まったのです。

 参考作品の裏には、日付と名前を記入することになっていました。
 私が早速記入していると、隣の男の子が
 「じゃあ、俺の名前も記念にサインしとけばレア物になるぜ」と冗談っぽく言いながら、
 私の絵の裏に、自分の名前を本当に書いてしまいました。

 でも、久々に納得のいく絵が描けたことで、
 私はそれも記念だな、と思えていました。

 1月の終わりのことでした。





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(12)星が消えた日

 どうしようもなく唐突な流星群が地上に降った。
  

 その日の夜、公園に”先生”の姿はありませんでした。

 帰り道の途中、パトカーがせわしなく何台も目の前の道を通ってゆくなかで、
 私は、ひどい追突事故を目の当たりにしました。
 白いライトバンがガードレールにぶつかって横転しているのが見えました。
 次に目の当たりにしたものを、私はすぐに信じることが出来ませんでした。
 
 それは"先生"の青い自転車だったのです。

 私はそのあたりのことをよく覚えていないのですが、
 とにかく信じられない気持ちでいっぱいだったので、
 確かめたいという気持ちから、無意識のうちに動いていたのだと思います。 

 夜になると人通りの全くなくなってしまう大通りは、
 警察も野次馬もいなくなってしまうと、
 恐ろしく静かな闇だけが横たわっていました。

 現場は、幅の広い道路が交差した大きな十字路でした。
 私が立ち止まったその場所には、
 砂のように砕けた無数のガラスの破片が散らばっているのが見えました。
 辺りは驚くほど静かで、空はどこまでも真っ暗でした。
 骨まで凍りつくような、心臓までもが凍ってしまいそうな底なしの寒さがあり、
 冷たい風の音だけが響いていました。
 私はその日、空にあった星が全部墜落して、
 道路の上に散らばってしまったように思えてなりませんでした。

 見上げた空には、高速道路によくある首をもたげたようなライトが
 ただ光っているだけで、
 信号機は車も通らず誰もいない路上で、音もなく赤と青の点滅を繰り返していました。
 真っ暗な夜空の遠いところまで連なっているように思えていました。

 そこにひとつだけ、ひときわ強く光っているものがありました。

 それは、”先生”の猫の銀色の首輪についていた、小さな鈴でした。

 私は鈴を拾い上げ、振ってみましたが
 カラ・・・という乾いた音が鳴ったきりで、
 公園で聴いた、チリンという軽やかな音は戻ってきませんでした。

 次の日の新聞の朝刊には、事故を報じる記事が小さく書かれていました。

 私はそこで初めて”先生”の名前を知りました。





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(13)2月14日

 「雨の日と月曜日とそれから2月14日は、なんて言わないで下さい」

 
 2月になると、本格的に試験は始まっていました。
 2月14日。
 この日、予備校の先生たちは、みんなに「キットカット」を配りました。
 「おーい、あんまり騒ぐなよ。あと、早々と食べるんじゃないぞ。
 これは今日の課題のモチーフなんだから」
 縁起を担ぐというのもあってモチーフに選んだとのことでした。
 受験のさなかの思わぬプレゼントに、緊張感と疲れの色が漂っていたアトリエには
 爽やかな風が吹いたことを覚えています。

 私は、”先生”に短い手紙を書きました。


 先日、数年ぶりの大雪が降りました。
 そういえば高校入試のときにも大雪が降ったな、と思いかえしています。
 もう試験が次々に始まりました。
 ”先生”に教えてもらったことを大切にして
 試験当日は、全力を尽くせるように頑張りたいと思います。


 
 私はいつもの公園の中でも一番目立つイチョウの木の下に、
 手紙と銀色の猫の鈴を置きました。
 
 強い北風が、一日中吹いていました。
 
 



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(14)入試
  
 「願いが叶っても、叶わなくても、感謝の気持ちは持ち続けていたい」


 その後、私は何をどのように歩いてきたのかあまり記憶に残っていません。

 第一志望の大学入試の二週間前に私はインフルエンザにかかってしまい
 しばらく予備校を休んだあと試験を受けることとなりました。

 とにかくそのときは、本当に命がけでした。
 今思うと、何かよくわからないけれど底知れぬ力に
 動かされていたとしか言いようがありません。
 私が言えることは、
 そこには一途な気持ちがあった、ということ。それだけです。

 一次試験、二次試験を経て、最終合格発表の日。
 大学の門をくぐると、目の前の掲示板には
 自分の受験票に記されている番号がありました。
 それまでの人生の中で初めて、
 自分の受験番号を掲示板で見つけたときでした。

 予備校の先生たちも合格発表を見に来ていました。
 「おめでとう」「よく頑張ったな」

 離れたところに住む両親にすぐ電話で伝えると、
 表情を見ることは出来なくとも、
 電話の向こうでとても喜んでいるのがわかりました。
 「今日はみんなで食事をしましょう」と言ってくれました。
 嬉しいことでした。
 




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(14)アナザー・エディション
  
 「合格が、ゴールじゃない」と”先生”はいつも言っていた。

 
 気持ちの整理がつかないまま、私は言いようのない寂しさを感じていました。
 入学当初、明るく振舞おうとかなり無理をしていたように思います。
 それからも、表面的には周りに合わせていたし、
 大学の課題には面白みを感じてはいました。
 新しいことも学ぶ中で、そのうちに”先生”との約束のことは遠い日のことだと
 自分でも思い込んで過ごしている気になることもありましたが、
 でも、ときどき心のどこかで、カタンと音を立てる何かがあることを
 思わずにはいられなかったのです。
 
 周りの人たちは、大学に受かったことを喜んでくれました。
 私も大学に受かったことを喜んでいたには違いなかったのですが、
 そのとき、自分の心の中に何か見つけられずにいるものを抱えていて、
 そのことと周囲の喜びとのギャップを苦しく感じていました。

 そんな気持ちで入学した私が、4月の大掃除の際に見つけたものは
 驚いたことに”先生”の名前が書かれたロッカーでした。
 そこには二つの絵が入っていました。
 一つは丸まっている画用紙に描かれた絵で、
 広げてみると銀色の猫が描かれていました。
 それは”先生”の猫で、確かに”先生”の絵でした。

 ”先生”は私の第一志望大学の学生だったのです。

 もう一つの絵は、厚めの画用ボードに描かれていました。
 美しいアネモネがスカイブルーを基調とした画面に描かれたもので、
 それは私が通っていた予備校のパンフレットの表紙になっていた絵でした。

 私が、いつかこんな絵が描けたらとずっと憧れていた絵でした。

 やがて、大学の助手の指示で、新入生は古いロッカーのラベルを貼りかえるように言われ、
 ”先生”のロッカーを引き継いだ人は、あっという間にラベルを剥がして、
 新しい自分のネームラベルを貼り付けました。
 それはただ、新学期の始まりの何でもない風景でしたが、
 私には、その風景が二度とない風景に思えていました。

 軌跡が失われる前に、私は”先生”の絵を覚えていようと思いました。

 




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(15)白い鍵

 「透き通った夢を、見ているのかもしれない」

  
 大学3年になったとき、かつて通っていた予備校から連絡があって、
 非常勤講師のアルバイトをしないかという誘いがありました。
 私は、イベント会場での似顔絵描きや大学の事務の手伝い、書店の棚卸しなど、
 短期のアルバイトをしていた日々だったのもあり、
 長期のアルバイトも探していたところでした。
 私は講師のアルバイトをすることに決めました。

 初めはどう教えたらよいのかわからず、
 特に絵についての感覚的なことを言葉にするのに苦労しましたが、
 ある日、いろいろと考え込んでいるときに、生徒から質問があったのです。
 それは、私がかつて”先生”に質問したことと、同じ質問でした。

 ”先生”と話したことが次々に思い浮かんできました。
 そして”先生”の言葉の意味を、本当の意味を、
 あらためて意識したのはそのときでした。

 ”先生”の言葉は、私の心に残っていたのでした。

 チリンという、軽やかな鈴の音を聴いた気がしました。

 言葉が心に落ちる音を聴いたように思えていました。





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(16)星を巡る夜 いつか明ける朝 

 そこにあなたがいなくても

  
 ”先生”のアドバイスをもらったり、励まされたりしたことを
 ひとつひとつ思い出し、その軌跡を辿りながら歩いてここまできました。


 私は、今、思うんです。

 不思議な出会いもあれば、
 唐突な別れもある。

 それは、恐らく、運命なのだと。

 でも、その中で、大切なことや嬉しいことを見つけて、
 見つけたことを明日につなげることが大事なのだと・・・今はそんなふうに思うのです。

 悲しいことも苦しいことも単なる妨げではなく、
 乗り越えてゆくことで、明日への道になるものなのだ、と。

 だから、それを避けていたら、いつまでも成長はないのでしょう。
 時間は、死んでしまうのでしょう。

 目の前にある風景は、捉え方次第で変わることがあります。
 以前私は、ただ目に映るものだけが視界の全てなのだと思っていました。
 ただ悲しいことを、悲しいと言って悲しむことしか出来なかったように。
 でも、今の私は、目の前には様々な風景があること、そして、
 明日があることを知りました。
 
 完成した絵を見せることは出来ませんでした。
 この約束を果たせなかったことは私の心にずっと引っかかっていて、
 時は過ぎてゆきました。
 でも、本当の約束は、そういうことじゃなかったのだと思えてきたのです。
 
 今、”先生”との本当の約束は果たせたのだと、思っています。


 今の私は確かに、

 これから、明日に向かって歩いてゆこう、

 そう思えているのですから。





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(17)ありがとうを贈るために
 
 「今、私は、これからの未来に、バトンを渡します」


「詩人は、自分の悲しみを言葉で誇張して見せるのでもなければ、
 飾り立てて見せるのでもない。
 一輪の花に美しい姿がある様に、放って置けば消えて了う、
 取るに足らぬ小さな自分の悲しみにも、
 これを粗末に扱わず、はっきり見定めれば、
 美しい姿のあることを知っている人です。
 悲しみの歌は、詩人が、心の眼で見た悲しみの姿なのです。
 これを読んで、感動する人は、まるで、
 自分の悲しみを歌って貰ったような気持ちになるでしょう。
 悲しい気持ちに誘われるでしょうが、もうその悲しみは、
 不断の生活のなかで悲しみ、心が乱れ、涙を流し、苦しい思いをする。 
 その悲しみとは違うでしょう。
 悲しみの安らかな、静かな姿を感じるでしょう。
 そして、詩人は、どういう風に、悲しみに打ち勝つかを合点するでしょう。」

 (小林秀雄『美を求める心』より)


 


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(18)ヒア・カムズ・ザ・サン

 「はじまりはいつでも、歩き始めたところから始まっている」


 何度もつまづくことがあります。
 目の前にあることが、現実なのだと思いたくないこともあります。
 一生懸命に選んだことが必ずしも正しいことであるかはわかりません。
 でも、何かしなければ、夢は夢のままで終わり、
 現実は現実のままで明日につながることもなく、
 失敗も挫折もないかわりに、新たなことに気づくこともありません。
 一見、失敗の繰り返しばかりのように見えることでも、
 その繰り返しの中から何か大切なことを探すことで
 日々は作られているのかもしれないのです。

 日常の慣れや風化にただ流されてゆくのではなく、
 過去にも現在にも未来にも、風にはためく希望の旗を立て、
 日々、あたりまえのことをあたりまえだと思わずに大切に思えることこそが
 「生きる」ということなのだと、今では思うのです。


 私の拙い話はこれで終わりです。


 それでは、どうかお元気でいて下さい。

 また、いつか、どこかで。



2008/3/10  16:31

投稿者:Maya

>nokogirisouさん

 読んで下さり、どうもありがとうございます。

 心の中でふわふわとさまよっている
 物語みたいなものがずっとあったのですが、
 どういうふうに何かしらの形になるのかは
 今までわからずにいました。
 それが今回、日頃の作品制作のテーマを考えているうちに
 まとまってきたので、
 思い切ってこういう形で書いてみることにしたのです。

 コメントを頂けると思っていなかったので、
 嬉しかったです。
 それと同時に、ここに載せて良かったなと思いました。
 日々の大切なこと、これからも考え続けてゆこうと思います。

2008/3/10  0:00


大作でした。一気に読ませていただきました。とても後味のよい、印象に残るお話でした。
「遠いところで拾った、ひとつの物語」
「物語の光が消えなかった」
とてもなぞめいていて、気になるお話でした。しかもこれは麻耶さんにとっての真実の物語であるだけでなく、私にとっての真実、私にとって重要な言葉も含んでいるお話でした。名作というのはそういう
ものなのかもしれません。普遍的なものと個人的なものを包含する世界。いつかお話の本ができるのではないかと私はひそかに期待しています。

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