2007/11/24 20:20
社会の窓 ひとりごと
昨今、ブログも立派に市民権?を得たのか、ブログ発の出来事がニュース・シーンを賑わすまでになりました。
最近よく耳にするのが、ブログの炎上 、そして閉鎖 …
私は 当ブログにおいて、誰か一人の為 “ だけ ” に書く という事はありません。
いつどこで誰が目にするか判らないスペースだという事は常に意識しておりますし、そして それは 記事を掲載する時だけでなく、一見すると個人宛に見える、他の方のブログへコメントを書き込む場合や、頂いたコメントに返事を書く場合においても同様です(他の人に、それを読むな とは言えませんし、防ぐ手立てもありません。誤解のない様に書き添えますが、人を信じられない という意味合いでは決してありません。目に触れる以上、十人十色の感じ方をするのは当然です)。
本当に特定の一人に “ だけ ” 何かを伝えたく、 他者には見られたくなければ、個人宛のメールを利用せねばなりません(ですから私は、その様なケースも想定し、多少のリスクを承知の上で 頂いたコメントの返事には必ず個人メールアドレスを載せてもおります)。
PCは個人の所有物であり、ネット世界を映し出してくれるモニター・ディスプレイも個人所有物です。
ですが、ディスプレイ画面を通して見える世界は、決して自分のモノではありません。
ネット環境は 一見、自分を一人称として 自分の都合で自由に発信出来るので、主人公感覚も強いものとなります。ちょうど、頭の中でものを考えているのと同じ状況と言えばよいでしょうか。間違いなく自分が主人公で、好き勝手にどんな想像・思考だって巡らす事が出来ます。
ここまでなら誰にも迷惑はかかりません。ただ、その考えた事を、言葉にして発した瞬間からは、主人公の思い通りの展開は保証されなくなります。それを受け取った側もまた、自分を主人公として思い思いの反応をするからです。自分の他にも主人公が居たなら、それは もはや群像劇であり、その時点で一人称視点の ドラマ ではなくなり、単独主演の座も失うのです。
手軽にネットに接続して、ブログ等で特定の個人とのみ意思の疎通を図っているつもりでいても、実状としては 不特定多数に宛てて複数のメールを同時配信しているのと同じ行為なのだと思います。
部屋でディスプレイ画面を見詰め続ける自分は 一人称感覚のままで居たとしても、ネット世界の群像劇の中では、決して主役なのではなく 単なる一登場人物でしかありません。
完全に特定個人宛を願うのであれば、個人宛のメールという方法がちゃんとあります。
反面、メールでは匿名性が保てなくなる訳ですが、そもそも、匿名か そうでないかで 書く内容がガラッと変わるのが おかしいと思うべきなのです。言い換えるならば、面と向かっては言えないけど陰口としてなら言える、という事になる訳ですから。
陰口は陰で言うから陰口なのであって、ネット上で不特定多数を相手にした時点で、それはもう公衆の面前なのですから、陰口とは言えないのです。それを目にする可能性のある人全員に対して、意見表明をしたのと同じ事なのです。
匿名性を保ちつつ、決して一対一ではなく 不特定多数と同時にコミュニケーションを取っているのが ブログ。
きちんと自分を開示した上で 特定の相手だけに信書として送るのが メール。
その境目を理解するだけでも、ブログ炎上の半分くらいはボヤで防げるのではないでしょうか。
