2008/5/11 15:49
母の日はキツイね! 家族
24年前、子供二人と3人の生活を始めて、この日が一番つらい日だった。3歳と4歳の子にとっては、何を意味するかも分からなく過ぎた日も、大きくなるにつれて自分たちに母親がいない と分かりだしてきてからも、子供たちから一度も「母の日だね」とかの言葉を聞いた覚えがない。
子供ながらに言葉に出せなかったんだろうと毎年胸がキューンとなった。 5月のこどもの日が過ぎるや否や、世の中とくに商業ベースでは母の日モードに切り替わり、スーパーでも母の日コーナーが出来、新聞チラシも 「母の日にお母さんに・・・・」と盛んにはやし立てる。
なるたけ、子供の目につかないようにと気を使っても世に中はお構い無しに迫ってくる。 風薫る爽やかな5月というのに、ジーッと首をすくめて騒ぎが通り過ぎるのを待つしかない毎日は、つらいものだった。
ここ数年子供たちも大きくなり、社会人として巣立ってからはその心配もしなくなっているが、今でも私の前では、彼らから母の日に触れることはないようだ。
それでも20数年前はまだ今ほど母の日狂想曲はにぎやかでなかったので、しのいでこれたけれど、今は<<これでもか これでもか>>と商業主義で迫ってこられるので、今同じ境遇にいる親子にとってはもっとつらい日々を送っていることだろう。
少しはそんな親子のことも考えてくれるといいのだが・・・。
格差が広がっていると言われている今の社会は、逆の方向に向かっているような気がしてならない。世の中をもっと暖かいものにしていきたい。
子供ながらに言葉に出せなかったんだろうと毎年胸がキューンとなった。 5月のこどもの日が過ぎるや否や、世の中とくに商業ベースでは母の日モードに切り替わり、スーパーでも母の日コーナーが出来、新聞チラシも 「母の日にお母さんに・・・・」と盛んにはやし立てる。
なるたけ、子供の目につかないようにと気を使っても世に中はお構い無しに迫ってくる。 風薫る爽やかな5月というのに、ジーッと首をすくめて騒ぎが通り過ぎるのを待つしかない毎日は、つらいものだった。
ここ数年子供たちも大きくなり、社会人として巣立ってからはその心配もしなくなっているが、今でも私の前では、彼らから母の日に触れることはないようだ。
それでも20数年前はまだ今ほど母の日狂想曲はにぎやかでなかったので、しのいでこれたけれど、今は<<これでもか これでもか>>と商業主義で迫ってこられるので、今同じ境遇にいる親子にとってはもっとつらい日々を送っていることだろう。
少しはそんな親子のことも考えてくれるといいのだが・・・。
格差が広がっていると言われている今の社会は、逆の方向に向かっているような気がしてならない。世の中をもっと暖かいものにしていきたい。
2008/4/28 18:17
菜の花とたけのこ 心と体
久しぶりにJA直売所へ出かけてビックリ。
たけのこが山積みされている。 別のところでは、黄色い菜の花が。 思わずカゴに入れてしまった。
早速 筍の皮をむき、ゆでて筍ご飯と菜の花のみそしるで春を味わった。 うれしくていつもは1カップのところ2カップ炊いて、筍ご飯を三食続けて食べてしまった。
後期ではないが初期?or前期高齢者の身としては、この先何回味わえるかと思うと、若き日に食した食感と違うものがあり、味わえる有難さを実感。
昔 子供の頃、おばあちゃんが何かにつけ「ありがたや、ありがたや」 「南無阿弥陀仏」の口癖が、やっと今になって少し分かりかけてきたのかな、という気がする。
年寄りが経験から得た知恵は大事にされてしかるべき。
それにつけても、後期高齢者云々 に見られる、年寄りを厄介者扱いする世の風潮は、クールジャパンには似つかわしくない。
たけのこが山積みされている。 別のところでは、黄色い菜の花が。 思わずカゴに入れてしまった。
早速 筍の皮をむき、ゆでて筍ご飯と菜の花のみそしるで春を味わった。 うれしくていつもは1カップのところ2カップ炊いて、筍ご飯を三食続けて食べてしまった。
後期ではないが初期?or前期高齢者の身としては、この先何回味わえるかと思うと、若き日に食した食感と違うものがあり、味わえる有難さを実感。
昔 子供の頃、おばあちゃんが何かにつけ「ありがたや、ありがたや」 「南無阿弥陀仏」の口癖が、やっと今になって少し分かりかけてきたのかな、という気がする。
年寄りが経験から得た知恵は大事にされてしかるべき。
それにつけても、後期高齢者云々 に見られる、年寄りを厄介者扱いする世の風潮は、クールジャパンには似つかわしくない。
2008/4/21 17:13
24年 家族
3歳の孫がこの4月から保育園に園服を着て通うようになった。
もちろん両親が仕事を持っているので、彼女はママの育児休業期間が終わった1歳から、保育所や保育園に行ってはいたのだけれど、ここの保育園には通い始めて3年目になるが、3歳児のばら組になると園服に通園かばんで通うようになっている。
4月になって初めて迎えに行って、ダブダブの園服姿の孫を見たとき「大きくなったなァ」と改めて感じた。
奇しくも、この保育園は娘と息子(孫のパパ)もお世話になった所で園長先生とも顔見知り。
子供たちのときとデザインが少し変わっていたので園服を見たときには感じなかったが、下に着ていた体育着を見たら、ハッとなってうるうるしてしまった。子供たちのときと変わらない体育着だったので、子供たちを連れてこの保育園に預けににきた時のことが思い出されてしまった。
会社に行く途中に、4歳の娘と3歳の息子を連れて「保育園はイヤ」とぐずったりしないかと不安いっぱいで連れてきて、先生に手を引かれて元気に玄関ホールから消えていったときの二人の姿に、切なさと安堵感の混じった複雑な気持ちを抱いたことを、孫の体育着を見た瞬間に思い出していた。
あれから丁度24年が経って孫がそのときの息子と同じ3歳。
いろいろなことがあったが、あっという間の24年だったようにも思う。そして、孫が当時の息子と同じ3歳になっていることに、なんともいえない幸せな気持ちが湧いてきて、「名もなく、貧しく、チョイ悪く」で来たが、俺の人生はこれでよかったんだとしみじみと思えてきた。 きっとジャンボ宝くじが当たっても、これだけの気分にはなれないだろうと思うが、比べてみたいのであたらないかなァ・・・・。

もちろん両親が仕事を持っているので、彼女はママの育児休業期間が終わった1歳から、保育所や保育園に行ってはいたのだけれど、ここの保育園には通い始めて3年目になるが、3歳児のばら組になると園服に通園かばんで通うようになっている。
4月になって初めて迎えに行って、ダブダブの園服姿の孫を見たとき「大きくなったなァ」と改めて感じた。
奇しくも、この保育園は娘と息子(孫のパパ)もお世話になった所で園長先生とも顔見知り。
子供たちのときとデザインが少し変わっていたので園服を見たときには感じなかったが、下に着ていた体育着を見たら、ハッとなってうるうるしてしまった。子供たちのときと変わらない体育着だったので、子供たちを連れてこの保育園に預けににきた時のことが思い出されてしまった。
会社に行く途中に、4歳の娘と3歳の息子を連れて「保育園はイヤ」とぐずったりしないかと不安いっぱいで連れてきて、先生に手を引かれて元気に玄関ホールから消えていったときの二人の姿に、切なさと安堵感の混じった複雑な気持ちを抱いたことを、孫の体育着を見た瞬間に思い出していた。
あれから丁度24年が経って孫がそのときの息子と同じ3歳。
いろいろなことがあったが、あっという間の24年だったようにも思う。そして、孫が当時の息子と同じ3歳になっていることに、なんともいえない幸せな気持ちが湧いてきて、「名もなく、貧しく、チョイ悪く」で来たが、俺の人生はこれでよかったんだとしみじみと思えてきた。 きっとジャンボ宝くじが当たっても、これだけの気分にはなれないだろうと思うが、比べてみたいのであたらないかなァ・・・・。
2008/4/2 18:50
春・爛漫 趣味
願わくは 桜の下にて我・・・・と詠んだ古え人もいたけれど・・・
桜の下で、未来しか向いていない子供たちと野球が出来る幸せに浸れる、昨日今日そして明日。
歳をとってくると桜を見ると、この桜を見るのもあと何回?という気持ちになる、と言っていた人がいたけれども、将に実感。
そんな中で、春休みの小学生と満開の桜の下で野球が出来るのも、リタイアした者の特権か?
一緒に体を動かせる健康にも感謝。
今年の桜はみごと! 入学式までもってくれると好いのだが。
今年の一年生は多い、という話にはチョット気分を明るくさせてくれるものがある。

桜の下で、未来しか向いていない子供たちと野球が出来る幸せに浸れる、昨日今日そして明日。
歳をとってくると桜を見ると、この桜を見るのもあと何回?という気持ちになる、と言っていた人がいたけれども、将に実感。
そんな中で、春休みの小学生と満開の桜の下で野球が出来るのも、リタイアした者の特権か?
一緒に体を動かせる健康にも感謝。
今年の桜はみごと! 入学式までもってくれると好いのだが。
今年の一年生は多い、という話にはチョット気分を明るくさせてくれるものがある。
2008/2/22 16:09
手作りで本ができた。 趣味
「北海道 1962夏 学生4人旅 ぼくたちの北海道旅行」なる本が出来上がった。
今から46年前、昭和37年の夏 当時学生だった中学時代の友人4人で、国鉄の「北海道均一周遊券」で学割を使って有効期間いっぱいの18泊19日の貧乏旅行をした。
帰ってきて、その思い出をノートに書いておいた。
その後の4人はそれぞれの道を歩み、4人がそろうことはメッタニなかった。
時は進み一人を除き現役から退いて時間に余裕が出来てきて、また一緒にどこかへと、数年前から年に一度泊りがけの四人の会が復活した。
そこで昨年の会に、件のノートを持参したところ、思いがけなく皆が興味を示したが、乱文乱筆(当然手書き)の上に字が細かくて読むのに疲れる、と苦情。 暇をもてあましている?友人が、俺がパソコンに打ってみる、と勇気ある申し出がありノートを渡したところ、二タ月ほどでデキタゾーッとメールで送ってくれた。
プリントしてみると、もともと21歳の若造の文章は 青くて稚拙、本にするような代物ではないのだが、なんだか見違えるように立派になったような気がして、フト 本に出来るのでは? との思いがわいてきた。 丁度ときを前後して複合プリンターなるスグレモノを買ったので、当時の白黒写真を取り込んでみると、これがビックリ、鮮明に写っている。
それから ああでもないこうでもない と試行錯誤の連続だったがやっと製本までこぎつけることが出来、その出来栄えにわれながら感激も一入。
この3月1日〜2日の今年の四人の会に間に合った。
それにしてもこの半世紀の技術の進歩をまざまざと実感した。 46年前には、パソコンやインターネットなどこれほど身近になるとは誰も予想もしていなかった。言葉も生まれていなかったのでは?
でもその分 人はどこかで退化してきていそうな気がする。

今から46年前、昭和37年の夏 当時学生だった中学時代の友人4人で、国鉄の「北海道均一周遊券」で学割を使って有効期間いっぱいの18泊19日の貧乏旅行をした。
帰ってきて、その思い出をノートに書いておいた。
その後の4人はそれぞれの道を歩み、4人がそろうことはメッタニなかった。
時は進み一人を除き現役から退いて時間に余裕が出来てきて、また一緒にどこかへと、数年前から年に一度泊りがけの四人の会が復活した。
そこで昨年の会に、件のノートを持参したところ、思いがけなく皆が興味を示したが、乱文乱筆(当然手書き)の上に字が細かくて読むのに疲れる、と苦情。 暇をもてあましている?友人が、俺がパソコンに打ってみる、と勇気ある申し出がありノートを渡したところ、二タ月ほどでデキタゾーッとメールで送ってくれた。
プリントしてみると、もともと21歳の若造の文章は 青くて稚拙、本にするような代物ではないのだが、なんだか見違えるように立派になったような気がして、フト 本に出来るのでは? との思いがわいてきた。 丁度ときを前後して複合プリンターなるスグレモノを買ったので、当時の白黒写真を取り込んでみると、これがビックリ、鮮明に写っている。
それから ああでもないこうでもない と試行錯誤の連続だったがやっと製本までこぎつけることが出来、その出来栄えにわれながら感激も一入。
この3月1日〜2日の今年の四人の会に間に合った。
それにしてもこの半世紀の技術の進歩をまざまざと実感した。 46年前には、パソコンやインターネットなどこれほど身近になるとは誰も予想もしていなかった。言葉も生まれていなかったのでは?
でもその分 人はどこかで退化してきていそうな気がする。
2008/2/10 17:25
元気ならどっちでも 家族
3歳の孫が、お姉ちゃんになることが最近わかって、興味津々の様子。お迎えに行った保育園からの帰りの車で、「女の赤ちゃんが生まれたら、リラが抱っこするの。男の赤ちゃんが生まれたらママが抱っこするの」という。そこで、「赤ちゃんは男の子がいい?女の子がいい?」と聞いたら、「元気ならどっちでもいいんじゃない。」の返事に思わず吹き出してしまった。先日パパが言っていたことそのまま。
そして、改めて子供の前で大人は軽々しくものが言えないな、と思わされた。パパがぜったい男の子がいいとでも言うのを聞いていて女の子が生まれたら、いつまでも「パパは男の子が良かったんだよね」と言いかねない。何しろ、幼児にとってパパとママは絶対なんだから。
そして、改めて子供の前で大人は軽々しくものが言えないな、と思わされた。パパがぜったい男の子がいいとでも言うのを聞いていて女の子が生まれたら、いつまでも「パパは男の子が良かったんだよね」と言いかねない。何しろ、幼児にとってパパとママは絶対なんだから。
2007/12/6 18:24
花嫁の父 家族
娘の結婚 入籍から1年目に結婚式を挙げる。 1年もたったのだから、式は無しで披露だろう、といっても通じない。
時代が変わって今はほとんどが教会形式で外国人の牧師の前で誓う。
この日本に生まれ育ったのだから日ごろ全くなじみのない主ではなく、神仏に誓ってもらいたいのが親の願いだが、一生に一度ウエディングドレスを着たいというのが本音でアーメンは形だけ借りるという軽薄さ。高校を選ぶのに制服の良し悪しを基準にするのと似たり寄ったり。
21世紀は日本の時代。日本ではいたるところに神が宿り、仏の加護があるといわれている社会。この寛容さが世界を救う気がするのだが・・・。
そんなわけで娘と一緒にバージンロードを歩かされ、せっかくのイベントにケチをつけてもと賛美歌を歌いいろいろな仕掛けに従って役割をこなしただけ。
それでもこの結婚の披露で、(思っても見なかったことだったが、)多くの方々から二人を祝福していただけたということが、一番うれしい事だった。
そしてそんな娘になってくれていたことを見られた喜びがある。
これからは、自分の力で自分の人生を生きていってくれるだろう、と実感できたひと時。
心から おめでとうと言える幸せをもらった花嫁の父でした。
時代が変わって今はほとんどが教会形式で外国人の牧師の前で誓う。
この日本に生まれ育ったのだから日ごろ全くなじみのない主ではなく、神仏に誓ってもらいたいのが親の願いだが、一生に一度ウエディングドレスを着たいというのが本音でアーメンは形だけ借りるという軽薄さ。高校を選ぶのに制服の良し悪しを基準にするのと似たり寄ったり。
21世紀は日本の時代。日本ではいたるところに神が宿り、仏の加護があるといわれている社会。この寛容さが世界を救う気がするのだが・・・。
そんなわけで娘と一緒にバージンロードを歩かされ、せっかくのイベントにケチをつけてもと賛美歌を歌いいろいろな仕掛けに従って役割をこなしただけ。
それでもこの結婚の披露で、(思っても見なかったことだったが、)多くの方々から二人を祝福していただけたということが、一番うれしい事だった。
そしてそんな娘になってくれていたことを見られた喜びがある。
これからは、自分の力で自分の人生を生きていってくれるだろう、と実感できたひと時。
心から おめでとうと言える幸せをもらった花嫁の父でした。
2007/11/26 15:59
赤福と防衛省とマスコミ ニュース
残念ながら未だお伊勢参りをしたことがないので、赤福なるものがあって有名なお土産だということを、このハチャメチャな事件が報道されるまでは全く知らなかった。
お伊勢さんとおみやげ。昔からおみやげとは、上げ底・ケバケバしい原色使いと相場が決まっていたもの。買うほうもある程度それを想定して楽しむ余裕があったのではないか。
TVラジオ・新聞の報道を見ているとまるで世の中がひっくり返るやの騒ぎ。いつから、たかがおみやげ品が超高級品のごとくに完璧であらねばならぬ・・・と変わったのだろうか?
確かに赤福の事件は糾弾されてしかるべきものだが、朝から晩までケシカラン・ケシカランの大合唱・・という程のものか? 新聞で言えば三面記事。それを読んだ消費者がそれでも買うか、見放して店がつぶれるか、というだけのこと。船場吉兆も白い恋人も同じこと。
もっとも白い恋人が3ヶ月の謹慎を解いて販売再開したら連日売り切れ、ではネ。
一方、防衛省と兵器商社との事件はそうは行かない。 これこそ国家の一大事。
報道してくれるのはいいが、隔靴掻痒、背中がかゆいのに孫の手が見つからない・・・いらだち。
そもそもニュースを取材する記者たちの嗅覚がゼロなのでは。 防衛庁の天皇とも言われていた男が10年以上にわたって、関連商社の元専務なる人物と200回とも400回ともいうほど夫婦そろって接待ゴルフをしていても誰も気づいていなかったのだろうか。省内では知れわたっていても外からかぎつける記者がいなかったに違いない。
だがそんな反省の言がマスコミサイドのどこからも聞こえてきていないような気がするが。赤福や吉兆の社長を釣るし上げて溜飲を下げている場合ではないだろう。
昔TVドラマの「事件記者」ではガンさんがキャップからよく怒鳴られていたけど、今はあんなキャップはどの新聞社にもいないのだろうな。
類似の不祥事は今でも他の省庁でも密かに(周りで知っていても外に出ないで)進行しているに違いない。それらをどんどんあぶりだしてほしい。頼みますよマスコミさん。
消費税が上げられる前に華々しく打ち上げてください。
お伊勢さんとおみやげ。昔からおみやげとは、上げ底・ケバケバしい原色使いと相場が決まっていたもの。買うほうもある程度それを想定して楽しむ余裕があったのではないか。
TVラジオ・新聞の報道を見ているとまるで世の中がひっくり返るやの騒ぎ。いつから、たかがおみやげ品が超高級品のごとくに完璧であらねばならぬ・・・と変わったのだろうか?
確かに赤福の事件は糾弾されてしかるべきものだが、朝から晩までケシカラン・ケシカランの大合唱・・という程のものか? 新聞で言えば三面記事。それを読んだ消費者がそれでも買うか、見放して店がつぶれるか、というだけのこと。船場吉兆も白い恋人も同じこと。
もっとも白い恋人が3ヶ月の謹慎を解いて販売再開したら連日売り切れ、ではネ。
一方、防衛省と兵器商社との事件はそうは行かない。 これこそ国家の一大事。
報道してくれるのはいいが、隔靴掻痒、背中がかゆいのに孫の手が見つからない・・・いらだち。
そもそもニュースを取材する記者たちの嗅覚がゼロなのでは。 防衛庁の天皇とも言われていた男が10年以上にわたって、関連商社の元専務なる人物と200回とも400回ともいうほど夫婦そろって接待ゴルフをしていても誰も気づいていなかったのだろうか。省内では知れわたっていても外からかぎつける記者がいなかったに違いない。
だがそんな反省の言がマスコミサイドのどこからも聞こえてきていないような気がするが。赤福や吉兆の社長を釣るし上げて溜飲を下げている場合ではないだろう。
昔TVドラマの「事件記者」ではガンさんがキャップからよく怒鳴られていたけど、今はあんなキャップはどの新聞社にもいないのだろうな。
類似の不祥事は今でも他の省庁でも密かに(周りで知っていても外に出ないで)進行しているに違いない。それらをどんどんあぶりだしてほしい。頼みますよマスコミさん。
消費税が上げられる前に華々しく打ち上げてください。
2007/11/20 16:13
浦和レッズのアジア制覇をナマで観た スポーツ
11月14日 埼玉スタジアム
アジアチャンピオンシリーズ決勝第2戦 対 セパハン
チケットを娘に買ってもらってナマで観戦。サポーターの熱気を肌で感じてきた。
TVでは何度も見ていたが実際に現場での応援の迫力は想像以上。キックオフ1時間以上前からヒートアップ。ホーム側ゴール裏の間近の席に座ったときには騒がしいとしか感じなかったのが、しばらくすると慣れてきて、試合が始まると結構同調して叫んでいたりして、一体感に包まれてしまった。
応援の内容も場面〜でどこで指揮しているのかスタンド全体をリードしていくパワーには、ものすごいものがあると感じた。バックスタンドに赤地に白い星が浮かび上がるようにそれぞれの座席に赤か白の小旗がさしてあった。サポーターが手配りしているのだろうか?
トイレの壁に「6万人の力でアジアの頂点へ!」と手書きの張り紙。1―0のハーフタイムにはその文面が変わっていた。
2―0で優勝したのを見届けて、帰りを急ぐと、スタジアムの壁には早くも 「祝 アジア初制覇 浦和レッドダイヤモンズ」 の垂れ幕。 ゲートを出るときには優勝ワッペンに 「一緒にやったぜ!! 世界に向け大きな一歩を踏み出した」 とワッペンが配られていた。
Jリーグのお荷物といわれたり2部に陥落したりと苦渋をなめた後のこの結果。選手だけでなく様々にかかわってきた人たちの結晶が実を結んだと改めて感動のひと時でした。

アジアチャンピオンシリーズ決勝第2戦 対 セパハン
チケットを娘に買ってもらってナマで観戦。サポーターの熱気を肌で感じてきた。
TVでは何度も見ていたが実際に現場での応援の迫力は想像以上。キックオフ1時間以上前からヒートアップ。ホーム側ゴール裏の間近の席に座ったときには騒がしいとしか感じなかったのが、しばらくすると慣れてきて、試合が始まると結構同調して叫んでいたりして、一体感に包まれてしまった。
応援の内容も場面〜でどこで指揮しているのかスタンド全体をリードしていくパワーには、ものすごいものがあると感じた。バックスタンドに赤地に白い星が浮かび上がるようにそれぞれの座席に赤か白の小旗がさしてあった。サポーターが手配りしているのだろうか?
トイレの壁に「6万人の力でアジアの頂点へ!」と手書きの張り紙。1―0のハーフタイムにはその文面が変わっていた。
2―0で優勝したのを見届けて、帰りを急ぐと、スタジアムの壁には早くも 「祝 アジア初制覇 浦和レッドダイヤモンズ」 の垂れ幕。 ゲートを出るときには優勝ワッペンに 「一緒にやったぜ!! 世界に向け大きな一歩を踏み出した」 とワッペンが配られていた。
Jリーグのお荷物といわれたり2部に陥落したりと苦渋をなめた後のこの結果。選手だけでなく様々にかかわってきた人たちの結晶が実を結んだと改めて感動のひと時でした。
2007/10/7 18:22
目標に到達 分類なし
献血
やっと目標だった100回できた。
確か最初に採血したのは、今から35〜6年前に 入院していた母に輸血が必要になり、東京は浅草にあった採血所?でおっかなびっくり血を採ったように思う。
当時は輸血してもらうには、相当のキップを必要としていて、親戚知人等を総動員して献血してもらい、その証にもらったキップをまとめて病院に出すとやっと患者に輸血してもらえる仕組みになっていた。まだ売血が盛んで血を売って生活をしている人もいると言われていて、採血所のまわりには生気のない顔で立っている人たちがいて、チョット薄気味悪い思いをした記憶がある。またその場所の壁がピンクで塗られていたのを鮮明に覚えている。
リタイアしてからは、ほぼ月に1度小江戸と言われる街まで出かけていって、マチの賑わいを感じながら献血してくるのが、生活のパターンになっている。
70歳の誕生日の前日まで出来るということなので、あと30回くらいは出来るかな。 健康でいられることに感謝感謝。

やっと目標だった100回できた。
確か最初に採血したのは、今から35〜6年前に 入院していた母に輸血が必要になり、東京は浅草にあった採血所?でおっかなびっくり血を採ったように思う。
当時は輸血してもらうには、相当のキップを必要としていて、親戚知人等を総動員して献血してもらい、その証にもらったキップをまとめて病院に出すとやっと患者に輸血してもらえる仕組みになっていた。まだ売血が盛んで血を売って生活をしている人もいると言われていて、採血所のまわりには生気のない顔で立っている人たちがいて、チョット薄気味悪い思いをした記憶がある。またその場所の壁がピンクで塗られていたのを鮮明に覚えている。
リタイアしてからは、ほぼ月に1度小江戸と言われる街まで出かけていって、マチの賑わいを感じながら献血してくるのが、生活のパターンになっている。
70歳の誕生日の前日まで出来るということなので、あと30回くらいは出来るかな。 健康でいられることに感謝感謝。
