2008/7/21  14:28

山陰 1964・春 はじめての一人旅  その19  旅行

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この記念館の隣に旧居があり、70歳を過ぎているのだろうオバアサンが説明してくれた。 
玄関を入ってすぐ、玄関とも土間ともつかない一坪ぐらいのところがあり誰もいない。 かってに上りこんでよいものやら。 右手の戸を開けるとお勝手らしかった。 そこにオバアサンがいて、あがってよいか、聞くと、ちょっと待ってくれ、と云う。 土間で腰掛けて待つ。 
見かけたザックが置いてあった。 もしや、と思っていたら例の米子から一緒だった女性があらわれた。 彼女たち、美保関からのバスを、松江に着く手前で降りて、どこかへ寄ったものらしい。 ここで聞いたのだが、松平不昧公(ふまいこう)のつくったという、菅田庵(かんでんあん)を見てきたとのこと。 “いいわよ、見てらっしゃい” といわれてその気になる。 彼女と話したのは、ここが最初で最後になった。 
どうして女性と話をするときに、とんでもないことを聞いたりするんだろう。 今朝米子から一緒だったのに 「今朝はどこから来たの」 なんて聞いちゃって。 これからどういうコースをとるのか、を聞くほうがまだましなのに。

八雲がしばらく住んでいたという家。 外からは気がつかなかったが、小さな池のある庭がありオバアサンの説明によると、「先生はここにお座りになって、ここからながめる庭をたいへん愛されました。 また、この池にいるカエルを食べに へび が出るのを気のどくがられて、へび に先生が自分の食べる肉をお残しになって、カエルを食べずにこの肉を食べるように、と あの石の上に残された肉をお置きになったということです。」 となる。
オバアサンがなぜここにいて説明をしているのかを聞こうと思ったが、何だか失礼になるのではないかな、と思いやめた。 帰りに 「いくらですか」 というと 「20円いただきます」。
一人で説明を聞いて悪いみたい。 土間で靴をはいていると、新婚さんがきて、オバアサンがまた同じ説明をしている声が奥から聞こえてきた。 
菅田庵に心を動かされたが、もう4時半になる。 案内書を見ると4時までとあり明日朝寄ってみることにする。 今日の泊り、法眼寺Y・Hへ。



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