2008/4/5  18:15

Session#1  徒然
色々と思うところがあるのだけど、とりあえず今日からの目標を書こう。
単純なもので、ジャズ的バッキングをつけながらただスタンダード曲を網羅していこうというだけ。テーマと左手のサポートという基盤を作りだそうということです。

これだけ見れば、なかなか前向きな方向にむかいつつあるということとして理解されるかもしれない。結論としては努力していこうという方針。いまやろうとしていることは無駄でも、試行錯誤は大事なプロセスということ。
けれど、なんとなく苛立つな、と思う部分がある。消極的な意味ではなく、積極的な意味で。
今日はジャズサークルを見学してきたわけなんだが、訪れた時間も早かったし、ほとんど人がいなくて結局二人くらいからしか話は聞けなかった。そんななかで思ったのが、人が集合することによってこういうことになるんだったっけ?ということ。大多数が同じような方向の音楽を聴いて、偏りがある。高校の部活のほうがまだリベラルだった気がするな、無関心だっただけか?その説明をしてくれた人は、僕の好きなアーティストを書いた紙(とりあえずビル・エヴァンスとミシェル・ペトルチアーニにしておいた)を見て、「この好みならここに居易いんじゃないかな」という。
ジャズの奏法に関しても疑問というか、もやもやしたものが自分の中にある。最近は、自分の中にある固有のスタイルみたいなものを開放して弾きさえすれば(そして、そういうものを発見して進化させていければ)とても良いものができると思っていたし、現にそう練習していた気がする。リズムも自分固有のものがあり、フレーズもそれに合わせて形作る。
けれど、今日セッションをさせられて(たった1曲だけど)、無理やり違う場所に引き込まれたみたいな感覚に襲われた。ドラムの4ビートのリズムに、ベースのウォーキング、これじゃあの半拍遅らせたブロックコードの刻み以外にアヴァイラブルなものがあるわけがない。しかも残念なことに、それすら訓練していないからできるはずもない。
そんなわけで、様々な不満があるわけだけど、セッションを十分にできるようになってから何かを考えようと思った。なんとなくだけれど、それはすぐに身に付きそうな気がしている。そう簡単にはいかないかもしれないけれど。
自分は弱い立場に立たされた方がより努力する傾向をもっているような気がするから(人間一般そうなのか?)、今はその傾向を最大限に利用するか。そういう状況だったギターを始めたころや受験が懐かしいや。


ジャンル分けに関して、やはり凄く違和感のあることに思える。それは、自分で気にしていなくても他人の目は厳しい。
僕は、ノンジャンル的なものが芸術において好きなわけです。文学では、村上春樹がおそらくそういうものだし、音楽では上原ひろみだったりとか大西順子も最近好きになりつつあるか。写真だと誰だろうな、マイケル・ケンナとかかな、そもそもジャンルってあまりない。でもおそらくノンジャンルという一つのジャンルができてしまったら、それすらも形式化されてしまうのだろう。


高校の頃は自由にやっていたのだな、と痛感した。誰も文句を言わなかったし、後ろ指さしてくることもなかった気がする。弾いていたものがコピーであれ、やりたいことができていたのは素晴らしいことだった。自分の甘さを認識してさえいれば、何をやってもいいところって少ない。好意は理解を越えるのに。
セッションができるようになってきたら、個人的なバンドを組もう。何の方向性もない思いつきで舵をとるバンド。

それにしても"KID A"は格好良すぎます。


今日の音楽:RADIOHEAD/KID A

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