2008/4/30  1:39

I'm not there  映画

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公式サイト

ボブ・ディランを象徴する6つのペルソナに基づいて、ボブ・ディランの人生を再構築し、彼自身の伝記映画に仕立てた作品。そのペルソナとは、

1.詩人
2.放浪者
3.革命家
4.映画スター
5.ロック・スター
6.無法者

各ペルソナをそれぞれが独立した人物として取り上げ、彼らのストーリを交錯せること、それぞれの人物像をを浮かび上がらせ、ボブ・ディランの実像に迫ろうとするのが狙いなんだろうけれども...


まず、この映画の中での一番の見どころが、ケイト・ブランシェット演じるペルソナ6のストーリー。シッピング・ニュースでは悪妻を演じたかと思えば、指輪物語でエルフの女王を演じて、コーヒー&シガレッツでは、そんな2役の共演的な一人二役を演じたケイト・ブランシェットの演技ぶりは今回も凄いですよ。
アレン・ギンズバーグとの邂逅、フォークからロックに転向したことによるファンやメディアとの確執など、フォーク時代の対比としての行動や思想の変化が、ケイト・ブランシェットの芸達者ぶりとあいまって、実像に迫るというテーマに最も合致しそうな山場だと思うのだけれども、なんだかもったいない使い方をされているように感じました。というのも、物語のカギになるペルソナの扱い、各ペルソナ間のリンクが問題ありだと思うから。

先の1、6はボブ・ディランの楽曲、イメージから派生したペルソナ。それ以外は、ボブ・ディラン自身の行動に基づいたペルソナ。1と6のストーリは半分空想的でお互いがリンクするところがありだけれども、その他のストーリーとのリンクにあまり意義が見出せるような構成ではなかった。正直なところ、映画全体からすれば無視しても良いかもしれない部分で、これらを無理やり挿入しているのが、映画を難解にしている原因の一つなのではないかという印象。。
さらに人物像の3を革命家と表現するのは少し問題ありな気もする。このペルソナは5のロック・スターと対比されるでデビューからロックに転向する直前までの、フォーク・スターとしてのボブ・ディランとすべきではなかったか。この対比で物語を進めたほうが良かったのではないか?というのが素人ながらの勝手な解釈。

しかし一番問題だと思うのは、そもそもボブ・ディランの実像に迫ろうかという意図が本物なのか?ということ。ホントの実像は先のペルソナのどれでもなさそうだと回答を明確にしないのが映画の結論ぽいから。っていうか、各ペルソナのストーリーが一つに結実しません。
これは映画の仕掛けなのかもしれないのだけれども、タイトルからして

I'm not there
ボク、そこにいないんです。

ボブ・ディラン自身の楽曲にちなんだタイトルですが、その歌詞はこんな感じ。

I'M NOT THERE (1956) - Bob Dylan

どうやら、人間的な俗っぽさを一番醸し出していたペルソナ4に通じている感じではあるのですが、ここだけ取り上げるにしても他との対比が中途半端。
確かに全編を通じて登場するペルソナであったけれども、ペルソナ5の存在もあるし、これだけを主題として取り上げるのは難しい。

そしてペルソナ1の存在。アルチュール・ランボーをモチーフにした詩人は映画の語り部的存在ではありながらも、核心に触れるような要素はなく、本家のランボー同様非常に難解な存在。

個人的には、I'm not thereというよりも、Blowin' in the Windで歌われているように、答えは風の中というのがしっくりくる感じの映画でした。

ちなみに、この<a href="映画のサントラはボブ・ディランのトリビュート・アルバム的な感じですが、ちょっといまいち。おそらくみんなが聴きたいのは、

Blowin' in the Wind
Like a rolling stone
Subterranean Homesick Blues
I Want You

あたりだと思うので、ベスト盤がおすすめ。

The Best of Bob Dylan
The Best of Bob Dylan, Vol. 2

最後にボブ・ディランについてですが、まだ現役で活動しているアーティストです。幼稚園で気味悪がられたそうです。

Dylan Goes to Kindergarten - ROCK&ROLL DAILY より



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