2008/5/16 1:30
ある蕎麦屋にて 弁護士・法律
南東北のある地方都市を訪ねた。
新幹線の駅から訪問先までタクシーに乗ったが、運転手さんが、田植えを終えたばかりの田んぼや小暗い森を縫うように走る道路を時速80キロぐらいでぶっ飛ばしていたので、私は正直こわかった。
用件を終えて、今度は別のタクシーで駅に戻ったが、料金が行きは3,770円だったのに、帰りは3,050円だったのが不思議だった。いずれにせよ、タクシー代だけで7,000円近くかかってしまったので、今日は昼食は抜こうかと思ったが、駅前のとある蕎麦屋からあまりにもいいにおいが漂っていたので、私は意を決してその店ののれんをくぐった。
だが、私がそのにおいに文字通り一杯食わされたのを悟るのにさして時間はかからなかった。
つまり、その店の「田舎風山菜そば」はあまりにも異色だったのである!
まず、都会風か田舎風かといえば、たしかに田舎風であることは、私も肯定しよう。
しかし、これが山菜そばであるということには、断固異議を唱える。
普通、山菜といえば、タラの芽とか蕗の薹とかそういう高級品とまでいかなくても、ワラビとかゼンマイとか、せいぜいヤマウドとかコゴミを思い浮かべるではないか。ヨモギやミツバまではまだ許せるであろう。
しかし、ここのソバのうえに乗っかっていたのは、単に名前がよくわからない草。私はむしろこれは「雑草そば」と呼ぶべきではないかとさえ思った。いずれの草も固くて苦くて、そしてここが肝心なのだが、どう公平に見てもまずかった。
あるいは、「牧草そば」と言ってもよかろう。私には、馬か牛かウサギかロバの餌の残りに今ハヤリの再利用をほどこした代物としか思えなかった。藁・・・というより、古畳を刻んだような繊維質のものすら混じっているのも意外だった。
それに、私はあえてここで断言したい。ワカメは海草であって山菜ではない、ということを。だのに、このそばの上には堂々とワカメまで盛られているではないか。念のために言うが、それは絶対にキクラゲではなかった。
私は思わず、店主に「ちゃんとメニューに『まずいです』と書いといてくれなきゃ困るじゃないですか。」と抗議しようかと思ったほどである。
・・・ところが、だ。それは大いなる誤解だったのである。私は、そのわずか数秒後には自分の認識不足と人生経験の未熟さを深く恥じ入るはめとなった。
つまり、最初それだけではまずいと思った“山菜類”だったのだが、ツユをすすり、かつ、ふやけたようなソバといっしょに食うとどうだ。その何とも神秘的かつ魅惑的な食感!。山菜どもは、薄めた「本ダシ」とともに名状しがたい“味覚物”となり、まるで私の舌をあざ笑うかのように口腔内を一気にグチャグチャ通過していったではないか。あたかも口の中でビッグ・バンが発生し、それが感動の洪水に変じ、最後は怒涛のナイヤガラとなって私の食道から胃へとなだれこんでいく…。私はもう自分がなにをどう食べているのかさえわからなくなったのである。
「信じられない。世界にはこんなにうまいソバがあったのか! 」
あるいは山菜がまずいからこそ、ソバのうまさが際立つのかもしれない。憎たらしいほど計算し尽くされた、この「田舎風山菜そば」だったのかも・・・。
やっとの思いでそのソバを平らげた私は店主に言った。
「こんなそばは生まれてはじめて食べました。私はこのそばを食べるため、それだけのためにこそ、今まで旅を続けてきたような気がします。」
店主は「そう言っていただけるとうれしいです。」とはにかんだ。
おそらく生まれてはじめてほめられたのに違いない。
私は、代金650円を店主に渡し、大いなる満足感とともにその店を後にした。ただ、今冷静にふりかえってみると、あのソバはもしかしたら半分腐っていたかもしれない。
いずれにせよ、感動というものは、当初の期待が小さければ小さいほど、大きくなるもののようである。
新幹線の駅から訪問先までタクシーに乗ったが、運転手さんが、田植えを終えたばかりの田んぼや小暗い森を縫うように走る道路を時速80キロぐらいでぶっ飛ばしていたので、私は正直こわかった。
用件を終えて、今度は別のタクシーで駅に戻ったが、料金が行きは3,770円だったのに、帰りは3,050円だったのが不思議だった。いずれにせよ、タクシー代だけで7,000円近くかかってしまったので、今日は昼食は抜こうかと思ったが、駅前のとある蕎麦屋からあまりにもいいにおいが漂っていたので、私は意を決してその店ののれんをくぐった。
だが、私がそのにおいに文字通り一杯食わされたのを悟るのにさして時間はかからなかった。
つまり、その店の「田舎風山菜そば」はあまりにも異色だったのである!
まず、都会風か田舎風かといえば、たしかに田舎風であることは、私も肯定しよう。
しかし、これが山菜そばであるということには、断固異議を唱える。
普通、山菜といえば、タラの芽とか蕗の薹とかそういう高級品とまでいかなくても、ワラビとかゼンマイとか、せいぜいヤマウドとかコゴミを思い浮かべるではないか。ヨモギやミツバまではまだ許せるであろう。
しかし、ここのソバのうえに乗っかっていたのは、単に名前がよくわからない草。私はむしろこれは「雑草そば」と呼ぶべきではないかとさえ思った。いずれの草も固くて苦くて、そしてここが肝心なのだが、どう公平に見てもまずかった。
あるいは、「牧草そば」と言ってもよかろう。私には、馬か牛かウサギかロバの餌の残りに今ハヤリの再利用をほどこした代物としか思えなかった。藁・・・というより、古畳を刻んだような繊維質のものすら混じっているのも意外だった。
それに、私はあえてここで断言したい。ワカメは海草であって山菜ではない、ということを。だのに、このそばの上には堂々とワカメまで盛られているではないか。念のために言うが、それは絶対にキクラゲではなかった。
私は思わず、店主に「ちゃんとメニューに『まずいです』と書いといてくれなきゃ困るじゃないですか。」と抗議しようかと思ったほどである。
・・・ところが、だ。それは大いなる誤解だったのである。私は、そのわずか数秒後には自分の認識不足と人生経験の未熟さを深く恥じ入るはめとなった。
つまり、最初それだけではまずいと思った“山菜類”だったのだが、ツユをすすり、かつ、ふやけたようなソバといっしょに食うとどうだ。その何とも神秘的かつ魅惑的な食感!。山菜どもは、薄めた「本ダシ」とともに名状しがたい“味覚物”となり、まるで私の舌をあざ笑うかのように口腔内を一気にグチャグチャ通過していったではないか。あたかも口の中でビッグ・バンが発生し、それが感動の洪水に変じ、最後は怒涛のナイヤガラとなって私の食道から胃へとなだれこんでいく…。私はもう自分がなにをどう食べているのかさえわからなくなったのである。
「信じられない。世界にはこんなにうまいソバがあったのか! 」
あるいは山菜がまずいからこそ、ソバのうまさが際立つのかもしれない。憎たらしいほど計算し尽くされた、この「田舎風山菜そば」だったのかも・・・。
やっとの思いでそのソバを平らげた私は店主に言った。
「こんなそばは生まれてはじめて食べました。私はこのそばを食べるため、それだけのためにこそ、今まで旅を続けてきたような気がします。」
店主は「そう言っていただけるとうれしいです。」とはにかんだ。
おそらく生まれてはじめてほめられたのに違いない。
私は、代金650円を店主に渡し、大いなる満足感とともにその店を後にした。ただ、今冷静にふりかえってみると、あのソバはもしかしたら半分腐っていたかもしれない。
いずれにせよ、感動というものは、当初の期待が小さければ小さいほど、大きくなるもののようである。
2008/5/16 13:57
投稿者:開設者
2008/5/16 12:45
投稿者:いろは熊
実に久しぶりにブログ拝見しました。
それにしても、先生は、ほんとに食べ物の描写(しかもウマまずい食べ物の描写)がお上手ですね〜。どこかしら、ロシアの文豪を彷彿とさせます。
あまりにまずいものの話題が多いので、先生は、まずいものを何とか探し出しては悦に入っている感じがしますね。恐れ入りやした〜。
それにしても、先生は、ほんとに食べ物の描写(しかもウマまずい食べ物の描写)がお上手ですね〜。どこかしら、ロシアの文豪を彷彿とさせます。
あまりにまずいものの話題が多いので、先生は、まずいものを何とか探し出しては悦に入っている感じがしますね。恐れ入りやした〜。
2008/5/16 9:41
投稿者:開設者
銀座の床屋さん
明らかに食品衛生法違反でしょうね。ただ確証もないのに、腐ってないのを「腐ってる」などとブログに書くのも名誉毀損罪となります。
明らかに食品衛生法違反でしょうね。ただ確証もないのに、腐ってないのを「腐ってる」などとブログに書くのも名誉毀損罪となります。
2008/5/16 9:15
投稿者:銀座の床屋さん。
とりあえず。先生、それは、よかったですね?いい経験をしましたね?結果オーライじゃないですか?欲をいえば、お運びのひとが、蕎麦を先生のところに、持ってきたときに「食べ方ご存じですか?」とお聞きするのが、本当の商人ではないか?または、お客様への思いやりではないかと、商人、銀座の床屋さんは、思うのでした、でも、本当に腐ってたら、それは、ターイヘンなことですよね?何罪ですか?

鋭い分析です。どこか心の奥まで見透かされてるようでこわいです。さすがです。