2006/8/22  16:42

停 戦   8月16日 (現地NGOからの声)  分類なし

(パレスチナ子どものキャンペーンが支援している現地のNGOスタッフからの声です。)

 慎重な静けさがレバノンにその翼を広げました。私たちの頭上を飛ぶ戦闘機はありません。襲撃もありません。死と破壊を運ぶ恐ろしいミサイルもありません。一見したところ、全ての大砲は沈黙しています。しかしながら、私たちの心の中にはまだ疑念があります。この平和な時は日常的に荒廃した政治的行詰りと激しい意見に耐えることができるのでしょうか?それが可能であり、また公正かつ公平で持続可能な解決をもたらすように祈らせてください。
そうはいうものの生活は難しく、そして表面の問題が動き始めると、さらに厳しさが見えてきます。そして私たちはナクバ(破局)の規模に気付くのです。打ちのめされた人々を助けるための人道的努力を難しくしているベイルート空港と港の封鎖はまだ続いています。

 自分の村に戻ろうという人々の決意にも関わらず、戦闘のあった地域や標的にされた地域では不発弾のために危険な状況です。自宅に戻ったがために、不発弾ですでに子ども1人と市民4人が亡くなり、15人が負傷しました。地雷危険教育国家運営委員会、ユニセフ、UNHCRとUNDPは、緊急アピールを出し、戦闘のあった地域に近づくときには最大限の注意を払い、見慣れない物体には触らないようにと市民にアドバイスしています。これらクラスター爆弾や大砲の不発弾は地面に落ちたままですが、とても危険なことに変わりありません。ほんのわずかな動きで爆発するかもしれないのです。国連の救援トラックも人々や包囲された病院に必要な物資を持って南部に向かっています。

 あらゆる痛みと苦しみに耐えている人々のいる地域全体に公正な平和が届くことを願います。イスラエル側がどんなに優越感を持っていても、憎しみと痛みによってはどんな問題も解決できません。かつてハイム・ビアリクというシオニスト詩人は、「レバノンとガザを襲撃し、その地を平らにし、塩を撒き、一人として残すな・・・、平和を望むなら・・・」という詩を書きました。こうした極端な憎しみと並外れて醜い絵図からはどんな種類の理解も築くことができませんし、私たちはそれが現在のイスラエルの多数派の意見で無いことを願っています。



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