2006/8/22  16:40

帰 宅  8月15日 (現地NGOからの声)    分類なし

(パレスチナ子どものキャンペーンが支援している現地のNGOスタッフからの声です。)


 昨日の朝8時が停戦の始まりでした。何も無い山道を海岸沿いの道路に向かって車が下る間中、それが本当かどうか疑問で、少ないながらも出会う車に、これが以前は首都に向かう車で混雑していた同じ道なのかを確かめざるを得ませんでした。海岸沿いの道路にぶつかり、女性、子ども、老人それに若者が詰め込まれた車が信じられないほどの列を作っているのを見て、私たちの心臓は高鳴り現実を認識しました。私が「詰め込まれた」と言ったのは、これらの車が想像できる以上の人数を乗せていて、その屋根には救援団体から受け取った物資が積まれていたからです。みな帰宅しようと南部に向かっていました。数百、いや数千もの様々な形で様々な大きさの車が、まだ自分の家が残っているのかそれとも破壊されたのかを心配する人々でいっぱいの「人間貨物」となって。しかし、いずれにせよ本当の家とは誰にも破壊できない故郷の土地であり、生きていても死んでいても、いつでも持ち主を受け入れる準備があるのです。

 ダムール(ベイルートより少し南の町)の手前で、私たちはまず破壊された橋に出くわし、一連の野蛮な破壊行為を目の当たりにすることになります。橋が破壊されたために、町の中の小さな道に到達するには、他の数百の車と一緒に私たちは少し回り道をしなければいけませんでした。高速道路の向こう側に辿り着くために、道路を渡るのに5分もかからないはずが1時間半もかかりました。物凄い数の車に加えて、たくさんの車がオーバーヒートしていたり、ガソリンがなくなったり・・・でもみんながお互いを助け合っていたので大丈夫です。車を脇に押したり、オーバーヒートしたエンジンに水を注いだり、あるいはガソリンを分けてあげたりと、みんながそれぞれのやり方でこの興奮する時を祝っていたのです。辛抱強く私たちの順番を待っていると、最後には高速道路が見えました。みなさんにはその場面が想像できないでしょう。3kmほど、いやそれ以上かもしれません、渡ろうとして6列に並んだ車が「どこへ行くの?」「あそこの道路はまだ通れる?」と尋ねる以外、驚くほど静かに自分の順番を待っていたのです。そんな情報交換以外は、おそらく歴史的瞬間を前にした敬意と畏怖からくるのでしょう、静けさがありました。

 再び、以前みなさんにお話した『涙の道』が思い出されました。パレスチナ人たちが故郷を追われ難民となったその道です。でも今回は家に帰ることへの喜びの涙でした。神さま、私たちは悲しいときも喜びのときも、いつも泣かなければいけないのでしょうか? パレスチナ人はいつの日か『涙の道』を辿って家に帰れるのでしょうか?その道のりは、まだとても長いのでしょうか? 私がみなさんに教えます。それはこの地点からそんなに遠くはありません。1時間もかかりません。そして人々は自分の町や 村に帰ります。 ・・・1時間もかからずに、みんなは家に帰れるのです。
 今回は無事帰宅しましたが、この停戦は持続的するのでしょうか?私たちは様子を見守らなければなりません。



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