2007/8/7 22:49
続編 美術教育系
一つ前のブログの文章を書くにあたり、「公共広告機構」のCMを思い出したので書き加えます。
小学生の通学路に人が集まるように、地域の大人の生活ラインを変更してほしいという内容のものがある。子どもたちの顔も見えてくるし、逆に子ども側から見た周囲の大人も見えてくることを期待しての広告であるが、どちらかがどちらかに、一方的にサポートするということの継続は、たいてい続きづらい。それこそ、子どもたちに時間的余裕を与え、廃品回収でもして、自分自身も地域の一員であることの自覚を子どもたち自身にも促し、その実践に対して地域の大人たちが、しっかり応えていくことも大切である。一方的に小学生の通学ラインに大人を増やしても、そこに会話が発生するシステムを作らない限りにおいては、彼らにとっては知らない大人が増えたに過ぎず、問題の核心からは的外れで、机上のプランと言わざるを得ない。少子化の結果、近い将来、競争率で振り落とされる受験生は少なくなってくるのなら、今更、大学受験の幻想にしがみつくよりも、小学校・中学校・高校の成長段階においても一人間としての「生きる能力」の育成を社会全体が真摯に取り組む時期にきているといえるのではないのか。
小学生の通学路に人が集まるように、地域の大人の生活ラインを変更してほしいという内容のものがある。子どもたちの顔も見えてくるし、逆に子ども側から見た周囲の大人も見えてくることを期待しての広告であるが、どちらかがどちらかに、一方的にサポートするということの継続は、たいてい続きづらい。それこそ、子どもたちに時間的余裕を与え、廃品回収でもして、自分自身も地域の一員であることの自覚を子どもたち自身にも促し、その実践に対して地域の大人たちが、しっかり応えていくことも大切である。一方的に小学生の通学ラインに大人を増やしても、そこに会話が発生するシステムを作らない限りにおいては、彼らにとっては知らない大人が増えたに過ぎず、問題の核心からは的外れで、机上のプランと言わざるを得ない。少子化の結果、近い将来、競争率で振り落とされる受験生は少なくなってくるのなら、今更、大学受験の幻想にしがみつくよりも、小学校・中学校・高校の成長段階においても一人間としての「生きる能力」の育成を社会全体が真摯に取り組む時期にきているといえるのではないのか。



